そこに美学はあるか
勝利することに呵責がないことと、どんな手を使ってでも勝利するということは、当然ながらイコールではありません。プロは、プロ故にその立ち振る舞いの見事さや、その揺るぎない意志でも我々を魅了します。将棋は「姿」を重んじる。 同じ負けるにしても、刺し違えるほどの緊迫した場面を作って終えるのが 将棋指しの心意気であり作法でもある。
オリたか、オリないかよりも、オリたと敵にさとられるのがいちばんまずいのだ。オリたならば、相手には、オリていないぞという姿勢を見せることが肝要である
勇気や的確な状況判断によって牌を捨てることができればよいのだが、実際の勝負の中ではそれがなかなかできない。捨てるという一打一打の中に、その人の危うさ、汚さ、緩さ、曖昧さ、臆病さが入り混じってくる。
ギャンブルっていうのは、授業料を払って、大人が負け方を学ぶものじゃないかな。その授業料を「高い」って思うんなら、やらないほうがいい。
背理、不条理、不可思議、無茶苦茶。しったかめったか、どちゃめんこ。それが、博奕だ。不可測に賭するという志が博奕なのである
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