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任天堂が乗り越えてきた“危機”【後編】(3ページ目)

1970年代まで慢性的な借金経営が続いていた任天堂。しかし、ひとつの商品が、その後の任天堂を大きく転換させ、いまや国内第3位の大企業にまで成長させるキッカケになりました。

執筆者:川島 圭太

そして任天堂が導き出した「答え」

ニンテンドーゲームキューブ
(2001年発売)

ニンテンドウ64の後継機として投入された「ゲームキューブ」。開発者にやさしいハードウェア設計を追及しつつ、小型の8センチ光ディスクを採用することで、大容量かつ読み込み速度にも優れたメディアを実現し、ニンテンドウ64時代の教訓をしっかり活かしたゲーム機となりました。……まあ、結果から言ってしまえば、それでもPS2の牙城を大きく崩すには至らなかったのですが。

しかし、この時代に任天堂が抱いていた「危機感」は、PS2優位の状況に対するものではなく、むしろゲーム市場全体への危機感でした。PS2やゲームキューブなどの高性能ゲーム機の登場により、ゲームという娯楽は格段に「進化」しましたが、それと同時にゲームが急速に重厚長大化・複雑化し、ゲームから離れてしまう人が続出したのです。いわゆる「ゲーム離れ」が取り沙汰されていたのが、この時代でした。

ゲームキューブは「ゲーム機」としては優れていましたが、「ゲーム以外」に用途が広がらず、ゲーム離れの影響が直撃する形となりました。また、PS2は売り上げこそ好調でしたが、初代プレイステーションとの互換性やDVD再生機能など「PS2のゲーム以外」の魅力もあったからこそヒットした、とも言えるでしょう。

ゲーム離れに歯止めをかけなくては、ユーザーを呼び戻さなくては、日本のゲーム市場に未来はない。そんな危機感が、任天堂をかつてない挑戦へと駆り立てていくことになります。

<この時代に任天堂が学んだこと>
■娯楽が多様化している今、ゲームの複雑化は時代に逆行している。
■ゲームが複雑化し、ゲーム熟練者と初心者の格差が広がっている。
■老若男女を問わず、熟練者も初心者も楽しめる環境作りが大事。
■そのためには、これまでの常識を覆す「新化」が必要!

……そして生まれたのが、「ニンテンドーDS」と「Wii」というゲーム機でした。CPUの計算能力やグラフィックの綺麗さなどの「進化」ではなく、タッチペンやWiiリモコンに象徴されるコントローラの「新化」こそが、任天堂の導き出した答えだったのです。

いまや国内第3位の大企業にまで成長した任天堂。「新化」によって獲得した多くのゲームユーザーを離すことなく、これからも勢いを維持できるのか。これからの任天堂には、新化の「真価」が問われることになりそうです。

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