「週刊ファミ通」創刊の経緯と、その成功の秘訣 |
|
───「ファミ通キューブ+アドバンス」の創刊について伺いたいと思います。創刊当時は「ファミ通64+」(※4)という名前でしたが、どういう経緯でファミ通の任天堂専門誌を作ることになったのですか?
ローリング内沢 「サテラビュー通信」、「ネオジオ通信」など、新ハードが登場するごとに新雑誌を立ち上げていたのですが、その流れで「ファミ通64+」も始まったんですよね。最初は、定期誌ではなく「週刊ファミ通」の増刊号という形でスタートしたんですよね。
───新ハードがたくさん登場して、週刊ファミ通だけでは全ての情報を載せきれなくなったという理由でしょうか。
水ピン 平たく言えばそうですね(笑)。
───お2人は、どういう経緯で「ファミ通キューブ+アドバンス」にたずさわることになったのですか?
水ピン ええと、「ファミ通64+」創刊当時は僕はまだ編集長ではなくて、週刊ファミ通で仕事をしていたんですよ。
───「ファミ通キューブ+アドバンス」へ抜擢されたのは、どういうキッカケで?
水ピン う~ん、“抜擢”なんてカッコイイものじゃないです(笑)。
ローリング内沢 僕が「ファミ通64+」編集部(当時)と関わることになったのは、フリーになってからですね。クロスレビューのコーナーをメインに、同編集部から発売された「ギフトピアBOOK」などのムックの制作にも携わりました。
水ピン 僕の場合は、週刊ファミ通の編集長が今の加藤(バカタール加藤氏)になったときに、「ファミ通64+アドバンスの編集長にはお前が一番向いてるから、お前がやれ!」ということで、週刊ファミ通の副編集長から異動になったんです。
───お2人は同期にエンターブレインに入社なさったと聞きましたが、その当時の週刊ファミ通というのは?
ローリング内沢 まだ週刊ファミ通が旧名の「ファミコン通信」という名前の頃でした。「ログイン」というパソコンゲーム誌の1コーナーだった「ファミコン通信」が、ファミコンがブームになるとともに一冊の雑誌として独立したのが創刊のキッカケですね。
水ピン でも、ゲーム雑誌としては「ファミコン通信」はかなり後発でしたね。
───後発にもかかわらず、ファミコン通信がゲーム雑誌としての確固たる地位を築くに至った理由を、当事者としてどのように分析していますか?
水ピン 一番の理由は、ユーザーのニーズに合わせて自分たちも変わることを全く恐れていなかったことですね。
───読者と同じ目線からゲーム雑誌を作るというのは大切ですよね。プロではなく、本当にゲームが好きな人たちが作っているという雰囲気が伝わってきますし。
水ピン まあ、他の雑誌がそういう点を無視していたということもあるんでしょうね。
───ところで、「ファミ通PS2」など他のファミ通専門誌に対してはライバル意識はあるんですか?
水ピン 全然無いです。同じファミ通でも全く違うフィールドなので、むしろ「がんばれ~!」という感じで。最近は、もっと協力していこうという方向に動いてますね。
───では、「ファミ通キューブ+アドバンス」の一番のライバルというのは?
水ピン ウチがライバル視したいのは、実はゲーム雑誌ではなく、コロコロのようなコミック雑誌なんですよ。
───読者層が重なるという意味で。
水ピン そうです。まあコロコロはウチなんか相手にしていないと思うけど(笑)。
───いえいえ、そんなことはないでしょう(笑)。
水ピン 早く相手にされるようにこれからも頑張ります!
>> 次ページ:ファミ通編集者の考える「ゲーム産業の今とこれから」
(※4)創刊当時は「ファミ通64+」=創刊号は1999年7月号。2001年5月号より「ファミ通64+アドバンス」に誌名変更。2001年11月号より現在の「ファミ通キューブ+アドバンス」に2回目の誌名変更。 |