FPSはゲームジャンルの発明
海外市場にとって、FPSが高度に完成されたゲームの最終型と捉えられているのは間違いない。『オブリビオン』『フォールアウト3』などはFPSの文法をRPGに取り込んで成功しているし、『コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2』の驚異的な売上は、日本とは温度差を感じずにはいられない。FPSは、映像クオリティーが上がればそれがそのままクオリティーアップに繋がり、映画的臨場感とシューティングゲームとしてのゲーム性が両立するという意味で優れたゲームジャンルなのは反論がない。
ゲームと言うのはリアルにすればするだけ没入感が高まる。
それはそれで真実の側面もあるが、すべてがそうでなければならないという話でもない。
すべてがリアルタイムである必要もないし、ターン制は古典として存在意義がある。将棋や囲碁がリアルタイムに進行するゲームになったら、それはもはや将棋・囲碁ではない。別のゲームだ。
そういったいくつかの方程式は残し、ある部分はリアルに、ある部分はお約束として残しているのが現在のゲーム。
JRPGにはJRPGのお約束があるし、FPSにはFPSのお約束があるとして楽しみたいものだ。その上でお約束を打破した画期的な作品が生まれるのも、これからの可能性ではないだろうか。
なによりJRPGは、海外で生まれたRPGというジャンルを日本人の好みに合わせて調整したものだ。中華料理、洋食などをラーメンやオムライスにしてしまうように、もともとのものを自分たちの口に合わせて作り替えてしまうのが日本人の文化ではないかと、筆者は考えている。
しかし、自分たちの口に合ったオムライスばかりを食べているうちに置いてきぼりをくってしまったという感覚はないだろうか?
僕はもう長いこと「あぁ、このゲームは以前遊んだなぁ」と思いながらRPGをプレイするようになった。
システムの味付けが少し違い、後はグラフィックとシナリオでしか判別できないほどの似通ったゲーム。それが現在の(多くの)RPGである。
僕らはもう、新しいRPGに熱中してレベル上げに勤しみ、エンディングに涙したあの頃には戻れないのだろうか?
過去の名作がリメイクされて再び大ヒットを記録する…そんな「あの時の思い出」ばかりではなく、また新しいRPGに熱中したいだけなのだ。