都電荒川線の踏切を越えて進むく
このあたりの川筋の痕跡はよくわからない。とりあえず、大鳥神社の先にある都電荒川線の線路を越える。ここに都電荒川線が開通するのは大正時代の終わり頃だ。昭和に入ってこのあたりもどんどん宅地化されていったのだろう。都電荒川線の踏切 |
踏切を越えて進む道にかつての川の痕跡は見られない。とりあえず踏切を越えてまっすぐ進む。というのも、この道は「弦巻通り」といい、かつての川跡だといわれているからだ。しかし、下水道のマンホールを探してみると、暗渠となっているのは一本西側の道のようだ。川筋はよくわからないけれど、この弦巻通りは古い建物や商店などがあるので、歩いていても楽しいルートである。
木村橋の跡
弦巻通りより一本東側の道に清立院というお寺があり、その一角に木村橋の石碑がある。それまでは木の橋だったものを地元の木村氏によって石橋に付け替えられたようだ。この石碑はその記念に建てられたものだ。ここにかつて石橋があった |
木村氏が架けた橋なので、地元の人々から木村橋と呼ばれていたようだ。弦巻通りに戻り、コンビニエンスストアで、「ここに川があったらしいですけど」と聞けば、「この道がそうですよ」と中年女性の店主が指さしたのは弦巻通りである。もちろん、暗渠化されてずっとあとにお生まれになったわけで、実際の川は見ていないそうだ。
さあ、次ページでは
江戸川橋まで歩きます。