彰義隊の墓

梅雨時の散歩ということで、よく思い浮かぶのが彰義隊のことである。彰義隊は、もともとは最後の将軍である徳川慶喜の助命嘆願のために作られた組織だった。それが、上野のお山に多くの侍が集まり、新政府軍と対峙することとなった。1968年、慶応4年のことである。そして、上野戦争の戦端が切られたのが、旧暦でいえば、5月15日、いまの暦では7月4日となる。梅雨の季節。そして、この当日も雨が降っていた。
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西郷隆盛の銅像の裏にある彰義隊のお墓

まずは彰義隊のお墓にお参りをして、散歩を始めることとした。

西郷隆盛

上野戦争では新政府軍として彰義隊を攻めた西郷隆盛の像。西郷像は、西郷が亡くなった西南戦争から21年後の明治31年12月18日に除幕式が行われた。一説によれば、この除幕式に呼ばれた西郷夫人は、この像は西郷に似ていないと言ったそうだ。
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山下口に向いた西郷隆盛像

ちなみに上野戦争の新政府軍側で総指揮を取ったのは大村益次郎で、その像は靖国神社にある。

上野松坂屋

ちょうど、現在の上野松阪屋のある場所が新政府軍の本営で、薩摩軍がここにいた。まさに上野のお山の正面、黒門口前になる。上野戦争は、結果的に半日で終わった戦争だ。新政府軍は、加賀藩の屋敷、今の東大がある場所から、上野のお山に向けてアームストロング砲を撃ちこんでいる。
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西郷さんの像の前あたりから、新政府軍の本営のあった松阪屋方面を臨む

ちょうどこの写真で見える高さから、彰義隊の隊士たちも新政府軍が押し寄せてくるのが見えたかもしれない。当日は雨である。どこからともなく、大砲の砲弾が飛んできて炸裂しているのを見ると、いっきに退却したくなるのもわかる。もともと統制がとれていたわけでもなく、彰義隊は散り散りに逃げたそうだ。
新政府軍の大村益次郎の作戦は、谷中方面には兵はおかず、ここから彰義隊を逃がすというものだったようだ。
そんなわけで、次ページでは