枡箕稲荷神社にお参り
今は児童公園にもなっている枡箕稲荷神社。 |
実はこのあたりの道は細く入り組んでいるので迷いやすい。
わからなくなったら、坂をあがれば新宿通り、くだれば靖国通りと覚えておこう。
さて、いよいよ坂町に入っていく。
このあたりはかつて御先手組(おさきてぐみ)の屋敷があった。
御先手組というのは、もともとは合戦のときの先鋒をつとめる足軽隊である。弓、鉄砲で構成されているのだが、戦時ではなかった江戸時代には江戸城の警備などにあたっていたそうだ。
御先手組の組屋敷に囲まれた場所にこの枡箕稲荷神社はあった。
もともとは「真須美稲荷」という名前だったそうだが、境内において御下賜米の配分が行われ、いつの頃よりか「枡箕」の文字を用いるようになったそうだ。きっと枡でサラリーともいえる米を配っていたのだろう。
坂町坂をのぼっていく
とても長い坂である「坂町坂」 |
坂名は「坂町」という町名にちなんで、呼ばれていたようである。『御府内備考』では、坂の名称はつけられていないものの、百メートルを越す長さであることが記されている。
となっている。道幅はさほど広くないし、人通り少ないおだやかな坂である。
路地が坂になっている
こんな路地が坂となってあちらこちらにある。 |
その路地は坂になっていて、車も通れないほどの狭さである。
だから信号もない。迷路のようにウネウネと曲がりくねった坂の路地を歩いていると人間よりも猫に会うほうが多いかもしれない。
なんとも平和な空気が漂っている街である。
しかし、来るたびに少しさびしく思うのは、かつてはいくつもあった商店がどんどん姿を消している点であろうか。
初めてこの坂にやってきたのは、いまから20年くらい前だ。ある編集部がここにあって、連載原稿を毎月届けていた。懐かしいなぁ。