再び荻窪ラーメンを求めて
荻窪駅北口バスのロータリー拡張で、かつての「丸信」はなくなっていた。 |
そのとき連れて行ってもらったラーメン屋が行列のできていた「丸福」である。
この「丸福」は今はない。近くに同じ暖簾の別の店があるだけだ。
あの当時(1980年代前半)荻窪ラーメンの三大巨頭といえば、この「丸福」に加えて
「春木屋」と「丸信」であった。
その中で僕がよく行ったのは、魚介系スープの「丸信」。
記憶が曖昧なのだけれど、たしか立ち食いのラーメン屋だったような気もするが、座って食べた記憶もある。
店の前を通ると、鰹だしの香りがして、それに釣られて入ったことが何度もある。「丸福」は青梅街道沿いだったが、「丸信」は荻窪駅の北口を出てすぐの場所にあった。
その場所も今は駅前ロータリーとなって、ただの道路になっている。
青梅街道を四面道に向かって歩く
青梅街道と環八が交差する四面道の交差点。 |
たしか、かつてあった駅前の「丸信」は支店で、この四面道近くに本店があったはずだ。そちらは普通の中華料理店だったと記憶している。
よく友人ご飯ものを食べたものだ。
それにしても当時の四面道はなんだかずっと道路工事をしていたなぁ。
と、すぐに「丸信」は見つかった。
店内に入るとダシの香りが漂う
丸に信の文字。ああ、この暖簾。「丸信」である。 |
僕の記憶違いだったのだろうか。
ラーメン、つけ麺の専門店になっていたのだ。
ラーメンにくわしいわけではないが、このところの「東池袋大勝軒」のブームくらいは知っている。
そのせいか最近はやたらとつけ麺を出す店が増えている。
ここ「丸信」もメニューに「つけそば」があった。
あとでネットで調べてみたが、先日は臨時休業で行けなかった「丸長」という荻窪の店がその源流であり、
ここ「丸信」の初代も「丸長」で働いていたのだそうだ。実は白状すると、この日、僕はまず先日食べそこなった「丸長」へ行ったのだが、水曜日で定休日だったのだ。またまた残念。
「丸長」の「長」は長野の「長」であり、「丸信」の「信」は信州の「信」なのだそうだ。
ちょうどお昼時で席はほぼ満席。この日はたまたまだったのかもしれないが、お客さんのほとんどは男性で、中年以上と年齢層が高かった。
そして、ほとんどのお客さんはラーメンかワンタンメンを食べている。
奥から餃子の焼ける臭いがして、ああ、そういえば駅前の店では餃子もよく食べてたなぁと思い出した。
さて、「丸信」のラーメンは次ページで!