散歩/和む散歩ルート

新山口駅近くにある山頭火の其中庵を訪ねる

漂泊の俳人、種田山頭火が昭和7年から13年まで庵を結んでいた場所への散歩。現在、その其中庵は再現されてそこにある。周囲の道を歩いてみるとまるで自分が山頭火になった気分に浸れる散歩だ。

増田 剛己

執筆者:増田 剛己

散歩ガイド

種田山頭火の其中庵を訪ねる

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新山口の駅のホームには小郡駅時代の看板もある。
昨年の正月も山頭火の生家あたりを散歩した。
「歩かない日は淋しい」、山頭火の散歩道 - [散歩]All About
明治15年、山頭火は山口県防府市の大地主の子供として生まれ、10歳のときに母を自殺で亡くしている。その後、19歳で東京の早稲田大学に入学するも中退し、実家に戻り、家業を継ぎ、結婚。子供も生まれた。しかし、その後に家業は倒産。妻子とともに熊本へ転居し、古書店をはじめる。が、単身上京。東京などで暮らしたが、関東大震災に遭遇し、再び妻のいる熊本に戻る。
その後、家を捨て、出家。行乞放浪の旅に出る。これが44歳のときである。歩いては句を作り、行乞しながら、山陰、九州、四国などをまわっている。
しかし、その体力の限界を感じたのか、ここ小郡に「其中庵」という庵を結ぶこととなる。昭和7年。山頭火、50歳のときである。


駅前に其中庵までの地図があった

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新山口駅に降り立つと、其中庵(ごちゅうあん)までの地図がある。
かつてこの駅は「小郡」と呼ばれていた。かつては小郡機関区(現、山口鉄道部車両管理室)があり、列車運行上の要衝でもあり、新幹線も止まる駅だ。2003年に駅名が「新山口」と駅名が改正されたが、山口観光の玄関口であることに変わりはない。
北口(在来線口)を出ると、其中庵への地図があった。
漂泊の詩人、種田山頭火が昭和7年から7年間ほど庵を結んでいたのがここ小郡だ。
俳人「山頭火」となってから最も長く定住したのが「其中庵」なのだ。

案内板が道順を教えてくれる!

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「其中庵」までの道順が、山頭火の俳句とともに紹介されている。わかりやすい!
地図をざっと見たところで、歩き始めたのだが、たしか山のほうだと思っていたのに、山にはちっとも近づかない。歩いている人に尋ねるとどうやら道を間違えていたようだ。ところが、少し遠回りをしてよかった。
各所に「其中庵」までの案内板があるのだ。あと○○mという具合に教えてくれる。
そこには山頭火の句とともに地元の人たちの俳句もある。なるほど、山頭火もこの町を愛していたが、この地の人たちも山頭火を愛しているのだということが伝わってくる。
坂道を登っていくと、どこまでも民家はある。かつて、山頭火が庵を結んだ頃、このあたりは泥田ばかりだったそうだが、景色のほうも変わっているのだろう。
そして、いよいよ「其中庵」に到着!


新山口駅より其中庵まで、往復しても2.4キロの距離です。

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