散歩/グルメ・行列・銭湯の散歩ルート

荷風が愛したカツ丼を食し、千葉~東京散歩(2ページ目)

文豪、永井荷風が晩年に移り住んだ本八幡。駅前にある「大黒家」で荷風はカツ丼を毎日のように食べていた。荷風の人生最後の食事もこのカツ丼だった。というわけで、本八幡から江戸川を渡り、篠崎駅へ。

増田 剛己

執筆者:増田 剛己

散歩ガイド


荷風ノ散歩道

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「荷風ノ散歩道」という幟が商店街にかかっていた。荷風のイラストがユーモラス。
駅の隣すぐの場所に踏み切りがある。その脇にいまは営業しているのかどうかわからない商店がある。看板に「森永キャラメル」という文字がほとんど剥げかかっている。
駅の裏の路地を入っていくと、荷風が建てた家があった。今も人が住んでいる気配がある。
写真を撮るのは遠慮して、再び商店街へ。「荷風ノ散歩道」という幟が街灯に下げられている。ここは、「商美会ロード」というらしい。
この日はあいにくの雨。細い道は車1台がやっと通れるほどの道幅だ。傘を差して歩くのに少々難儀をしながら、再び脇の路地に入る。

菅野から真間へ向かって歩く

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このような板塀の細い路地がいくつもあった菅野。角からひょっこり荷風先生が出てきそうだ。
商店街から左側に路地を入ると、菅野(すがの)という住居表示であった。
荷風の随筆に「葛飾土産」というのがある。冒頭はこんな一文から始まる。

菅野に移り住んでわたくしは早くも二度目の春に逢おうとしている。

そして、荷風は農家の垣に梅花が咲いているのを見つけて予想外の幸せだった記している。そして、このあたりが昔の向島を思い出させるようないい風景の場所であるというのだ。
当時、このあたりは松林や畠が続く田園地帯だったようだ。
この随筆によれば、荷風は風の強い日の翌日に手籠(かご)を下げて散歩をしたとある。風で落ちた松毬(まつかさ)や枯れ枝を拾うためである。ご飯を炊く燃料としているのだ。
なんとものどかな日常であろうか。

両側が田園の道を進んでいく

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今でも畠を見ることができる菅野から真間あたり
菅野には、荷風が親戚や知人と同居していた場所が今も残っている。ただ、そうした場所も観光地ではなく、普通に人が住んでいる。そこはあっさり見学し、写真も撮らずに通り過ぎた。
菅野の住宅街を縫うように歩くと次第に住宅は少なくなり、荷風が住んでいた時代にもそうであったような田園風景が現れる。
どこか懐かしい、ホッとするような風景だ。ビルの林立する都心部にはない開けた感じのする道。その道に車が往来することそう多くない。
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