本郷も かねやすまでは 江戸のうち

本郷も かねやすまでは 江戸のうち。つまり、江戸は「かねやす」まで。昔はごく狭い範囲だったのだ
僕が東京にきたのは昭和であった。その昭和も最後のほうの昭和である。僕のイメージで本郷といえば、東京の真ん中といった感じだったろうか。山手線内はどこも東京の中心だと思っていたからだ。

さて、今回の散歩はその本郷から始まる。地下鉄の「本郷三丁目」駅で待ち合わせた。Nくんは丸の内線、僕は大江戸線の「本郷三丁目」の駅。電話しながら落ち合ったのは、「かねやす」のある交叉点。

ここには、こんな看板があった。

「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」

と昔の川柳が書かれている。本郷通りを皇居の方角を見ると後楽園のジェットコースターが見える。その向こう側が水道橋で、そこは外堀がある。江戸時代のある時期、「かねやす」という大きな土蔵のある小間物屋までが江戸だったと言われていたのだ。昔の江戸はごく狭い範囲だったのである。

この「かねやす」は今も化粧品店として営業しているのがおもしろい。そして、江戸はどんどん膨張していった。それは東京になっても膨張し、今はその重心は新宿だ。平成になって、千代田区から新宿区に都庁が移転したので、そういうイメージがある。

今回の散歩は、かつては江戸の外だと言われていたところをずんずん歩く予定だ。本郷通りを北へ。この界隈は、明治から昭和にかけて多くの文学者が住んだことでも知られている。思いつくままに挙げてみても夏目漱石、正岡子規、坪内逍遥、樋口一葉、二葉亭四迷、石川啄木、宮沢賢治、川端康成などの名前が浮かぶ。

泣く子も黙る東京大学赤門。構内は重要文化財多し
左側に東京大学が見えてくる。

「ここの敷地はものすごく広いんですよ」

とNくん。たしかに地図で見ると東大の敷地は広い。赤門から構内に入る。東京の大学は敷地内に名所旧跡があるところも多く、誰でも入ることができる。とくにここ東大はそういったものが多い。そもそもこの赤門が重要文化財である。旧加賀屋敷御守殿門で、夏目漱石の小説『三四郎』では、主人公が赤門から大学構内に入り、ひょうたん池(三四郎池)の周りを散歩した記述などが出てくる。とくにこの小説は本郷界隈を散歩する記述がたくさんあるので、一読して出かけることをお勧めする。

僕とNくんもとにかく構内をいろいろ歩きまわった。安田講堂などを感慨深く眺め、再び本郷通りに出る。