中野長者の足跡をたどる散歩
中野通りを南下し、青梅街道まで出る。初夏の散歩は、空の青さで心が抜ける |
中野という名前の由来は諸説あるが、武蔵野の中心だったから中野という名前がついたというのが有力だ。ただし、もともとの繁華街は青梅街道のほうだったようで、今ある中野駅周辺は何もない場所だった。これはどこの町も同じことで駅ができる場所というのは、何もない場所である。
さて、今回の散歩のキーワードは「鈴木九郎」である。室町時代、紀州(現在の和歌山県)から中野にきた人物である。最初は貧しい馬売りだったのだが、その後商売に成功して「中野長者」と呼ばれるようになったそうだ。この中野長者が開墾し、支配していた地域が、中野坂上から西新宿一帯だったのだ。
中野通りから青梅街道に出るとそこは地下鉄丸の内線の「新中野駅」。道の向こう側に杉山公園が見えるが今回は青梅街道で左折。現在の青梅街道は大きな通りになっているが、舗道はさほど広くはなく数名で歩くのはあまり向いていないかもしれない。裏道を行きたいと思ったが、今回の散歩は
「再開発中の淀橋地区を見たいんですよ」
というNくんに従い、青梅街道を歩く。
「いま都庁があるところは昔、浄水場だったんですよねぇ、それってすごいですよね」
と力説するが、僕にはよくわからない。
「ほら、ヨドバシカメラってあるじゃないですか、あれは僕、最初は大阪の淀橋だと思ってたんですけど、あの地域が昔、淀橋っていう地名だったんですよね」
となんだか熱い。
宝仙寺にて境内を見回す。境内にある三重塔は再建されたものだが、壮麗さには心打たれる |
ここを左に曲がると成願寺というのがある。中野長者、鈴木九郎の屋敷だったところがお寺になったのだそうだ。ここに行くと、中野長者に関する絵巻などが展示されているので、行ってみるといいだろう。僕らはそれよりもまず淀橋という橋を探した。