昨年の夏、東京・阿佐ヶ谷のバタフライ卓球道場でこの本に載せるプレー写真を撮影していたときのことである。あるプレーの撮影に差し掛かったとき、それまで淡々とモデルに徹していた松下選手から疑問の声があがった。「これには、どんな意図があるんですか?」
撮ろうとしていたのは、「身体を伸び上げるカット」だった。卓球台の近くに寄せられたカットマンが、相手のスマッシュやドライブを処理する際に、台から下がって十分な体勢をつくる余裕のないときに使う技だ。高度なテクニックである。小・中学生にはいささか難しい。
それでも、見た目の派手さ、華やかさから、つい真似をしたくなる、王選手の一本足打法のようなものだ。ただし、基本的なフォームが固まっていない段階で真似をしたら、悪い癖がついてしまう可能性もある。そういった懸念が松下選手にはあったのだろう。
だが、カットマンにとって、台に寄せられて強打されるというパターンは、もっとも頻繁に出現するものであり、避けようのない「泣き所」である。強くなりたいと願うカットマンなら、是が非でも身につけたい技術でもあるような気がするのだ。つたない私の説明に、「じゃあ、ここはきちんと『基本をマスターしてから取り組もう』と書かなくちゃいけませんね」とフォローを考えてくれた。
この撮影にあたり、どのようなプレーを撮るのかという原案づくりは私に任せられていた。松下選手のスケジュールは、シドニー・オリンピックに向けての練習や合宿に加え、取材や講習会などで埋めつくされており、この日も早朝の新幹線で大阪から駆けつけてもらったのだ。原案の準備にまで手が回るはずがない。そのため、私の認識不足が次々と露呈することになり、そのたびに日本人初のプロは丁寧に修正していく。
たとえば、フォア前のフリックには「右足前」と「左足前」の方法があるのだが、両方使い分けられるのが望ましいと私は思っていた。ところが、卓球がスピーディーになった現在では、戻りに時間のかかる左足前は原則として使わないのだという。
「左足前も間違いじゃないんだけど、右足前のほうがベターなんです。すると、左足前はなくてもいいということになるんだけど。そこをビギナーになんと説明したらいいんだろう、難しいな……」
執筆に思いを馳せながら独り言のようにつぶやいた松下選手に、私は強烈なこだわりをみた思いがした。
彼は以前、「この手の本(技術書)には、欠点があるんです」と口にしたことがある。
「確かに、基本のやり方はあるんでしょうけど、それが自分に当てはまったかっていうと、なかなか当てはまんなかったんですよね。自分に合ったやり方っていうのは、結局、自分でアレンジしながら見つけていくしかなかったんです」
技術書にいささか懐疑的だった彼が、自分の本をつくるにあたって掲げたひとつの方針がある。
「このやり方が正しいと教えるのではなく、自分はこう思う、こうしてきた、ということを伝えたい」
その思いが全編にわたって貫かれている。ドライブ主戦型を岩崎清信さん、前陣速攻型を田崎俊雄選手に担当してもらったのも、経験論を伝えたいという松下流のこだわりからだ。
ただ、彼自身がそうだったように、彼の本を手にした若い世代が、いずれこの本の世界から空高く飛翔していくことだろう。それこそが松下選手の希望であり、夢でもあるのだ。彼の夢をのせた「こだわりの直伝本」が、いま、産声をあげる。
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