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最終回~プロレスとの出会いと別れ

本コラムも今号の掲載で最終回を迎える。奇しくも、プロレスに関わる最後の機会。今後はどのようなスタンスでプロレスと向き合えばよいのだろう。その最後は思いのままに書かせて頂いた。

執筆者:川頭 広卓

AllAboutプロレスコーナーの最後に――

【写真】ターザン後藤一派興行での記念写真。もちろん、観客全員でのもの。信頼できるプロフェッショナルレスラー=渡辺宏志は上段左から3人目だ

小学校も高学年になってくると、親友宅では、彼がレンタルビデオで借りてくるアメリカのプロレスを二人で毎週観るようになっていた。

プロレスには、ごく自然にはまった。

幼稚園の頃からキン肉マンが大好きで、自由帳にはキン肉マンばかりを描き、ゲームやキンケシでも遊んでいたのだから、リアルのプロレスに対しても免疫はあったのだろう。

初めてみたプロレスビデオのタイトルは「レッスルマニア4」だった。

なんとなく名前を知っていたハルク・ホーガンが、悪者軍団を蹴散らし、綺麗なマネージャーを連れたどこか脇役っぽい筋肉隆々の男のトーナメント優勝をサポートする――。

勧善懲悪な世界に見事に魅せられた自分は、以後、プロレス番組を追いかけるようになり、少ないお小遣いをはたいては週刊プロレスを買うようになった。

運よく、その翌年にはプロレス観戦の機会がやってきた。親父に貰ったチケットは、90年4月13日、東京ドームで行われた日米レスリングサミットだった。

以降、24時間365日、プロレスのことばかりを考えた中学高校時代の6年間。当時、新日本プロレス本社の傍で小さな旅行代理店を営んでいた親父は、たびたび新日から招待券を貰ってきてくれつつ、持てる小遣いもその殆んどをプロレスへと費やした。

好んで観ていたのは、WWF(WWE)はもちろん、新日本の三銃士&ジュニア戦線や全日本では超世代軍から四天王プロレスが中心だったと思う。一言で言えば、(プロレス的には死語でもある)超メジャー志向だったのだ。

高校に入ると転機が訪れた。同級生に自分とは全く異なるタイプのプロレスファンが居た。

ヤツはインディー大好きで、ことあるごとに自分のプロレス観を否定し、反メジャー志向のような反骨心を、なぜか自分にぶつけてきては罵られ続けた。今考えてもわけが分からない。

自分はグラウンドの攻防があまり好きではなかった。語弊があるかもしれないが、いい試合に関しては否応なしに最初から最後まで惹き込まれるのは当たり前。でも、全てがいい試合である筈もなく、退屈な試合におけるグラウンドの攻防はやっぱり退屈なのだから仕方がない。

だが、ヤツはそんな自分の姿勢もこっぴどく非難した。自分はヤツが言うところの“どんな試合でも目を凝らしてみなければならない”的な考えがムカついてしょうがなかった。

ただ、所詮は高校生。他に一緒にプロレスを観る友達なんている筈もなく、結局は何度もヤツとプロレスを観に行くわけだ。

市民体育館を借りて、マットでリングを作っては本格的なプロレスごっこも沢山やった。

自分達で、ビデオを回して、音楽をかけて――。

親友との試合はうまく噛み合う。そりゃそうだ、小学生の頃から何百回と戦ってる(?)。だが、当然、ヤツとの試合はちょっと燃えた。結果を決めてはいないから、互いにいくら技を掛け合っても、2.9で返す。四天王プロレスもビックリのロングマッチが行われ、集まった他の“ごっこ仲間たち”は毎回退屈そうにしていた。

ムキになってヤツの急所攻撃を無視したこともあった。前述した通り、自分はメジャー団体が好きで、ヤツはインディー好き。自分がどこぞやのプロレスショップでレガースを買って着用すれば、ヤツはブリーフを履いてくる。妙なところで地味な意地の張り合いは続いていた。

結局はヤツの影響なのだが、高校生になってからは数え切れないほどの団体を観て回ったし、大学に入った頃には、ヤツを介して一人のプロレスラーと知り合うことにもなった。新日本プロレス学校出身で、W★INGの練習生からSGPやターザン後藤一派といった団体を渡り歩いてきた渡辺宏志(以下、ナベさん)だ。

ナベさんは、典型的な昭和のレスラーで、周りの流れに逆行し、クラシカルなスタイルのプロレスを貫いた。西村修が“無我”でフューチャーさせるもっと前の話しだ。

ある頃から、ナベさんは月に1~2度、プロレスを教えてくれるようになった。プロレスといっても、レスリングのタックルや柔道の押さえ込み、プッシュアップや腹筋といった筋トレだったが、ヘッドロックや簡単な関節技も習うことができた。

ナベさんが出場する大会は、SGPや相模原時代のターザン後藤一派、春日部インディーズアリーナで行われる興行、栃木のイーグルプロモーションに浜松にあったパンクラチオンといったいわゆる“ドインディー”の興行だったが、足しげく応援に通った。この頃には、男女問わず、日本にある殆んどの団体を生で観戦していたので網羅する幅だけは誰にも負けない自信があった。と自負している。

とにもかくにも、初めて身近にできたプロレスラーの知り合いに心は躍っていたのだ。
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