一発屋レスラー “AV男優”向井誕生
“プロレスラー”チョコボール向井。その生き方は、強くもあり、しなやかでもある |
事実、当時のFMWはエンターテインメント路線を全面に打ち出し、AV女優がリングのサイドストーリーに絡むことも多く、あの手この手で話題を振りまいた。だからこそ、向井のリング登場は、誰もが企画の一つとして、一過性のものだと思ったに違いない。当の向井を除いては…。
徹底した叩き潰しという洗礼
後楽園ホールのリングに登場し、プロレスラーとしてデビューを果たした向井。試合でも“それなりの”ファイトを見せ話題作りはひとまず成功した。同年11月には横浜アリーナで行われたFMWの10周年記念大会にも出場し、AV男優との“二足の草鞋”は順調な滑り出しをみせる。しかし、“リアルプロレスラー”を志す向井の気概を試すかの如く、試練はすぐに訪れた。
横浜アリーナ大会直後の後楽園ホール。ここで向井を待っていたのは先輩レスラーらによる“洗礼”だった。向井はぐうの音も出ない程の徹底した叩き潰しに合ってしまう。表面的には、“横浜アリーナ大会のリベンジマッチ”という設定ではあったが、対戦相手の邪道、外道は向井に反撃の余地すら与えず、ひたすら攻撃を加える。エンターテインメントという枠から明らかに逸脱した壮絶な叩き潰し。それは向井をレスラーとして認めるには早いという暗黙の通告であった。
「本物は必ず生き残る」チョコボール向井という名のエンターテインメント
誰もがAV男優へ戻るものと思ったに違いない。それでもプロレスラーへの夢を捨てきれずにいた向井はこの翌年、新人レスラーとして一から出直しを図る。結果、AV男優として頂点を極めた男は、3ヶ月間の新弟子期間を経て、再デビューへと辿りついた。「18歳の頃に新日本プロレスに1週間いたのが大きいですよね」
同じような経験は過去にもあった。向井は、AV男優への道を歩む前に一度はレスラーを目ざしている。新日本プロレスの門を叩き、入門したまでは良かったが、予想以上のしごきや厳しさに一週間で道場から逃げ出している。この挫折で味わった悔しさは、今も向井の原動力になっているという。
「キャリアももう6年ですよ。早いもんですね」
向井はしみじみと語った。チョコボール向井というプロレスラーは、着実に周囲の偏見を見返し、レスラーとしての実績を積み上げている。
そんな向井が2005年12月に初の自主興行を開催。これまでに培ってきた“AVとプロレスの融合”を掲げ、自らの総決算と位置づけた。興行は営業からキャスティング、マッチメークまで全てが手作り。当日の進行表に至っては、真面目で律儀な向井の性格を表すかのように、原稿用紙に手書きで作成されていた。
とりわけ、加藤鷹との絡みは抜群の宣伝材料となり、マスコミ各社がこぞって取り上げた。「駅弁vsゴールドフィンガー」、「加藤鷹には、当日指に保険をかけてこいと言いたい」と興行用の宣伝文句を一生懸命考えながらも、イベントの継続性について問われれば「もちろん、続けていきます。プロレス自体が誰でもが出来る時代になっているけど、本物は必ず残りますから」と自信を漲らせた。
「両方やって、初めて意義がある」。“二足の草鞋”は“チョコボール向井という名のエンターテインメント”へと進化を始めている。
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