ようやく始まった「第二章」
――ようやく、環境が整ったって感じですね。坂口「そうですね。で、練習メニューも松田さんに全部考えてもらって。彼はすごい研究熱心なんで、ネットなんかでもずーっと見てる人なんで。こういう技があった、これを取り入れてみようぜとか。ずっとやってるんですね。まず横浜でやってみて、それを試しに狛江に行くみたいな状態になってきたんですね。だから4月(2008年)の高橋(渉)戦を迎えたときには、もう“坂口という名前の呪縛”もほとんど頭になくなってて、俺にはこれだけがんばってきて、ついてきてくれる人もいる。“坂口二世”の名前に引っ張られてるんじゃなくて、一総合格闘家でやってる俺についてきてくれてるって思えるようになったんで。守らなきゃいけない人間と、守らなきゃいけない場所ってのができたんですね。それがすごく大きくて」
――そのあたりで、ようやくホントのプロデビューができたって感じだったんでしょうね。
坂口「まあ、そのときコメントさせてもらったのが『第二章だ』っていう言葉なんですけど、自分の中では節目になったんですよ。まだ荒削りだとは思いますけどね」
――じゃあ、今試合をしてても充実感がある?
坂口「こないだの五十里のときは結構。過去一番ぐらいに身体も動いてたし」
――試合時間は短かったんですけども、非常に凝縮された試合内容でしたね
坂口「打撃の練習は二割か三割しかやってなかったんですけどね。打撃で倒せれば一番良いけど、組んでくるなら柔道もできるし、膝もできるし、テイクダウンしてくるならグラウンドの練習も松田と散々やってきたから、自分の中でも精神的に余裕があって、試合が運べてたんで。逆にいろんなことを試したかったなって」
――まあそれを考えると、逆に余裕を持ちすぎて負けちゃうんでしょうけどね。相手とどれだけ力量差があっても、相手も牙を持ってるはずなんで、余裕をかましてたら一瞬で噛まれて逆転されちゃいますから。
坂口「そこでしょうね。五分の試合の中でいくつ山があるかわからないんですけど、一瞬の際の部分で仕留めるって。その部分だけは誰にも負けないようにしようっていう、チャンスがあったときに一気に攻めにいかないと自分が喰われちゃうという感覚があるんで。それが4月は仕留め切れなかったですけど、良い形で出たのが6月(倉持昌和戦)と五十里戦だったかなと思います」
――相手の特性というか、グラップラーである五十里の特性をよくとらえてて。つかみに来るのを前蹴りで距離取って、焦れて突っ込んできたファーストチャンスでパンチで仕留めるという。パーフェクトな試合だったと思います。
坂口「まあそれで満足してちゃダメですけどね。まだやらなきゃいけないことはいくらでもあるんで。ただ、井田さんには悪いんですけど、“親の七光りじゃん”って言ってた奴らにはざまあみろと言ってもいいかなと(笑)」
――いやいや、謹んでざまあ見させていただきました(笑)
坂口「まあそれが自分を動かしてる原動力でもあるんで」