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荒鷲の不孝息子35年目の飛翔・坂口征夫(8)

父はプロレスラー、弟は俳優。総合格闘家坂口征夫には、常に家族の威光が覆い被さる。35歳、ようやく遅すぎる開花を迎えた長男が、不良少年時代、夢の挫折、家族との確執…その壮絶な過去を語り始めた。

執筆者:井田 英登

“脱・荒鷲二世”~坂口道場を背負う一人の格闘家へ

――そうやってお父さんと対等に向かい合える自信がついたのも、総合格闘家としてリングにあがってるからだっていう部分もあると思うんですが、やっぱりデビューまでも結構紆余曲折があったんですよね。

坂口「松田が道場に来るようになって一緒に練習するようになったんですけど、『征夫さんもたまには試合出れば?』って言われて。腕を折ってから、正直試合が怖くて。試合に出ること自体が怖いんじゃなくて、試合に出るぞって気合い入れて練習すると必ず怪我するんで」

――もうそれがジンクスみたいになっちゃってたんですね

坂口「(2006年)4月のゲートゲートに出ようかって話があったんですけど、それもろく軟骨を折ったんですよ。それで、なんだろ。“もう、俺試合でない方が良いんじゃないか”みたいに思い始めて。それと、そのころ自分では“坂口”の名前で試合することもイヤだった部分があって。RBにいた頃も、最初坂口ではいってなかったですし。いっそのことDEEPのフューチャーぐらいに名前変えて出ちゃおうかとか、そんな話もちょっと進んでたんですよね。そしたら、ある日尾崎社長が道場に見えて、ウチの道場からゲートゲートに選手を出すよってことで来ていただいてたんですけど。自分も一緒にアマチュアと練習してて、次は自分もアマチュアで出ますって言ったら、『待ってよ、プロで良いじゃない』って言われて。でも自分ではアマチュアの試合もロクにしてないし、総合の試合自体初めてなんだからそれはイヤだって言って、申し訳ないけどゲートゲートから順番を踏ませてくれって話をしたんです。そしたら、プロとゲートゲートの間にゲートっていうのがあるんだし、そこからでないかということになって」

――まあプロ予備軍というか、プロ昇格試験ですからね

坂口「じゃ、わかりました。出させてくださいってことになって。そこからプロになるかどうかっていうのはまた別のことだけど、その試合には出させてくださいと。それが9月のディファ有明のゲートの試合だったんですよ。なにせ自分の中では親の七光りっていうのがすごくイヤで、二十代を過ごしてきたんで、正直最初に松田といってたみたいに名前変えて出たいって思ってたぐらいなんですけど。片やオヤジとか憲二には道場をやるのに金も出してないってことがあるし、坂口でやれっていう声の方が圧倒的に多かったんで。ただ、俺は絶対イヤだって言い続けて」

――まあある意味二十代いっぱいかけて戦ってきた親の名前との戦いを棒に振るのかっていう。もうそこはプライドの問題、ですよね。

坂口「ただ、道場のためにしなきゃいけない、何かできることがあるとしたら、それも含まれるのかなって。最終的には、ただ俺が試合に出て、がんばって勝てばいいっていう方向に気持ちを切り替えつつあったんで。じゃあやるかって。“七光り七光り”って言われちゃうのも実際そうだから仕方がないんですけど」

――まあ坂口征二の息子って事実自体は変わらないですからね。そのイメージと戦うっていうのも、リングの上の闘いとはまた別の次元での勝負事なのかもしれませんね

坂口「去年一年間っていうのは、デビューして三つ戦って戦績もそぐわなかったし、オヤジの名前と、それをどう見てるかっていう人たちに対する闘いでしたね。デビューしたときは“俺すごい弱いな”って思いましたし、頭もずっと下げ続けてて。ほんっと真っ白でしたからね」

――確かにさっきも征夫選手のデビューに反感を覚えたって言うのは、試合の中身がプロのリングに上がる段階じゃないなってのがあったですからね

坂口「ですね。見てた人もあーっ感じだったんじゃないすかね。で、7月の試合(チェ・キーソク)は、プロフィール見てても厄介な奴だなって思って、計量の時ぱっと見てたら、どこにいるんだってぐらい光がなくて勘弁してくれよなって感じでしたけど、これに勝てないようだったらもうダメだなって思って。」

坂口征夫
 自ら、から“吹っ切れた”と語る、“転機”の2007年10月の第三戦・本田朝樹戦。先制K.O.を奪いながらの逆転負け。この段階で、すでに五十里戦を彷彿とさせる一撃必殺のスタイルが芽吹いていた
――正直、パンクラスも坂口選手の商品性を考えて気を遣ったんでしょうね、マッチメイクで

坂口「そうすね。だからもう三戦目は自分から本田(朝樹)選手とやらせてくれって話をしたんですけども。あの試合で自分の中でふっきれたのかな。これでダメだったら辞めてもいいやって気持ちもあったんで。このまま、“七光りだ”“二世だ”って言われてフェイドアウトしていくとしたら、世間的にはよくある例じゃないですか。これで消えていいのかなっていうのもあったし、パンクラスに対してもここまでやってくれたのに、っていうのもあって。坂口の名前でリングにあげて、拾ってきてよかったなっていうことを思ってもらえる選手にならなきゃいけないって、いろんな人と話をする中でだんだん気づいたんですね。その中で急激に試合に対しても、総合格闘技に対しても考え方がものすごい色々変わっていきましたしね」

――具体的にはどんな部分が変わったと思いますか?

坂口「取り組み方一つにしてもそうですし、本田戦までは坂口の名前に対するこだわりなんかも色々あったんですけど、俺の中で“脱・坂口だ”ってことになって」

――ああ、“脱・坂口”いいすね。

坂口「誰がどう言おうと関係ないよ。俺は一生懸命この世界で生きていくんだから。それに対して十人が十人賛成してくれなくだっていいし、良い評価をもらう必要もない。ただ一人でも俺のことを思ってくれる人がいるんだったら、背中を見せていきたいっていう考え方にかわりまして。練習方法一つにしてもそうだし。ただ闇雲にやるんじゃなくて、P’sLAB見たりなんかして、ウチの道場の悪いところは今日は漠然とレスリング、ボクシング、総合ですって。ただ淡々と本に書いてある通りをやってたんですね。松田さんならボクシングが上手い、窪田さんならパンクラスでやってたタックルがあるとか、技術論をどんどん取り入れていくとかしなきゃいけなかったんですね。練習も最初火木土しか総合格闘技はできなかったんですけど、総合格闘家が週三日しか自分の道場で練習できない状態っていうのは俺はおかしいと思ってて。毎日できる環境を作りたかったんです。そうやって考えてるときに空手の先生方から、坂口道場と半分で横浜の都筑区に道場を出さないかって話をいただきまして。年あけてから一斉にばーっとやり出して、それが横浜道場になったんですけど。オヤジはずーっと反対してたんですね。でも、自分たちでないお金出してがんばろうって。そこで今までの技術が生きましたね(笑)。都筑って公園なんかも施設が充実しててロードワークにも向いてて。こんな練習するのにもってこいの場所もないなって」
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