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失われた扉~TK再び世界へ 高阪剛34歳、UFCへのリベンジ3(3ページ目)

日本を代表する格闘家として名高い高阪剛。しかし、UFCでのブランクは二年を超える。パンクラス王座奪取を梃子に、世界の頂点に最後の挑戦を目論む高阪の10年間の苦闘。第三回は“UFCサーカスと鉄人クートゥア編”。

執筆者:井田 英登

“鉄人”クートゥアの轍を歩む

RINGSは活動休止し、UFCからのオファーも途絶えるという現状で、ともすれば逼塞しかねない立場の高阪だが、そんな逆境の格闘人生の一つの指針として、彼は最近よくランディ・クートゥアの名前を出すようになった。

クートゥアは41歳となった現在も現役王者としてUFCライトヘビー級王者に君臨する、“総合格闘技界の鉄人”と呼ぶべき選手。

筋肉増強剤をつかって人工的に筋肉をバルクアップする格闘選手の多い中、持って生まれた岩のような骨太の肉体を、さらに鍛え抜いて作った頑強なボディ。学生時代に培った組技の技術をベースにしたファイトスタイル(クートゥアはグレコローマンスタイルレスリング、高阪は柔道)。そして、理知的で物静かな物言い。すべてに置いて、この両者は非常に似通った存在感を持っている。

また、クートゥアの格闘技選手として道のりは、ただ長いだけではなく非常に紆余曲折に飛んだものだったのも類似点として挙げられるだろう。その後ろ姿に、高阪が自らの現状を重ねて考える気持ちは想像に難くない。

クートゥア
金網にめっぽう強い41歳の“鉄拳オヤジ”。しかし、素顔は驚くほどの紳士。
1997年、34歳でアマチュアレスラーとしてのキャリアに終止符を打ったクートゥアは、UFCへと進路を移す。当時、マーク・コールマンやドン・フライ、マーク・ケァーなど、アマレス出身者が次々とオクタゴンで勝利を挙げていたこともあって、“柔術からアマレス”へとUFC覇者の座標軸は移りつつあった。

彼のNHBデビュー戦となった1997年5月30日の「UFC13」は、丁度エンセン井上のUFCデビューの大会でもあった。この大会はUFC伝統のワンナイトトーナメント最後となった大会でもあり、クートゥアは怪我で欠場となったヒカルド・モラエスの代打として急遽参戦を決めた、一介のノーマーク選手だった。だが、一回戦RINGSにも参戦した元ヘビー級ボクサーでプロレスラーでもあるトニー・ホームをチョークスリーパーで秒殺。続く決勝もスティーブン・グラハムから電光石火でバックを奪い、パンチとエルボーの嵐を浴びせてこれも短時間決着。一試合目が56秒、二試合目が3分16秒、合計4分足らずでチャンピオンになる快挙を達成したのであった。

その後、当時UFCのスター候補生として日の出の勢いだったビクトー・ベウフォートをもTKOで沈め、同年12月21日の日本初開催となったUFC-ジャパンでは、ヘビー級王者モーリス・スミスを判定で破り、たった半年で世界最高峰の地位に就いたのだった。

クートゥアvsエンセン
エンセン戦での敗北を、逆に這い上がるエネルギーに変えたクートゥア。
だが、その後SEGと当時所属していたrAwチームのギャラ交渉のもつれなどもあって、一回の防衛戦もしないまま王座を剥奪の憂き目にあう。rAwチームはリーダーのチコ・チャッパレリ氏に銭ゲバ的な発想があり、クートゥアの他にもトム・エリクソンやフランク・トリッグなど優秀な選手を抱えながら、プロモーターのバッシングを食って活動が閉塞。結局、選手の旬を逃すという、困った存在でもあったのだ。

そんな経緯もあって、図らずも“流浪の王者”となったランディは、マーケットを思い出の地日本に求める事になる。 最初にオファーがあったのは、奇しくもUFCに同日デビューを果たしたエンセン井上との「ヴァーリトゥードジャパン'98」での対戦だった。当時修斗ヘビー級王者だったエンセンは、アンダーポジションからの腕十字固めを仕掛け、不敗の元UFC王者から初のタップを奪った。翌年3月捲土重来を期してRINGSに上陸。得意のヴァーリトゥードルールであったにも関わらず、RINGSの門番的存在だったイリューヒン・ミーシャに、ストップ・ドント・ムーブの端境を突かれてアームロックを掛けられ、またもタップアウトしてしまう。

図らずも関節技に弱いアマレスラーの欠点を露呈したクートゥアだったが、2000年のKOKトーナメントでは逆に押さえ込みを徹底する事で、その弱点をも克服。ジェレミー・ホーン、柳沢龍志、そして高阪と連覇し、準決勝ででヴァレンタイン・オーフレイムに破れたものの、さらに進歩し続けようとする意志を見せつける事に成功している。

この間に所属のrAwチームからダン・ヘンダーソンとともに独立したクートゥアは、UFCへの復帰を果たす。だが、二年近い空白期間に台頭してきた新勢力と元王者は対決を迫られることになる。まず最初に立ち塞がったのは、現役王者のケビン・ランデルマンだった。同じアマレス出身者同士のねちっこいグラウンドの攻防となり、1、2Rと劣勢の続いたクートゥアだったが、最終ラウンドになって37歳の“鉄人”は29歳の黒人ファイターを上回るスタミナを発揮。一回のテイクダウンのチャンスを手にするとパウンドの嵐を降らせ、謂われなく奪われた王座を取り戻したのだった。

続く翌年5月ペドロ・ヒーゾ戦でも快進撃は続く。あのオランダの怪童ピーター・アーツのトレーニングパートナーを務める、屈指のキッカーを“親父の鉄拳”でねじ伏せ、王座防衛に成功。 この時期、クートゥアはモーリス・スミスとの親交を深め、40近くなってキック技術の習得にまで手を伸ばすようになっていた。まさに晩熟の典型ともいえるこの努力が、ペドロとの再戦となった11月2日のUFC34でも功を奏し、三連勝を飾ることになる。

UFCはランディの復帰と機を同じくするように、ラスベガスで「ステーションカジノ」を経営するイタリア系企業ZUFFA社に買収され、その資金力をベースにケーブルTVへの復帰を果たし、ラスベガスやニュージャージーといった東西の大型カジノでのメジャー感あふれる試合開催も成功させ、低迷時代を抜け出していた。

そう、格闘技の理想を孕みながらも、どこか裏寂しかった“UFCサーカス”の時代は終わりを告げ、アメリカ本土に新しい格闘技ビジネス確立を目論むZUFFA時代がやってきたのだった。海の向こうの日本でもPRIDEが、DSEという新経営母体によってビッグビジネスを軌道に乗せつつあった。

そんな格闘上昇気流が吹き荒れる中、なぜか“世界のTK”はUFCからのオファーを断たれた状況に陥っていたのであった。

【第四回】世界の壁を前に
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