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新しいプロレスか?時代錯誤のマッスルコメディか? 「ハッスル」お前は何者だ(下)

破竹の勢いでブレイクしつつあるプロレスイベント「ハッスル」の秘密を、あくまで格闘技サイドの視点からシビアに探る。

執筆者:井田 英登

【前編】リアルファイト時代のプロレスとは何か。「WRESTLE-1」から「ハッスル」へ

「コアからコンシュマーへ」 DSE的“C to C”戦略

小川ハッスル”
「ハッスル5」ではマスクマン“Judo-O”(ジュードー・オー)に変身。過去の栄光を自虐的にギャグにできるかで、ハッスル魂が試される。
そもそもPRIDEは、ジャンルのコアにあたるマニア心理を刺激することを起爆剤にしてきたイベントである。本来、マニア相手のビジネスはどんどん通好みの隘路に迷い込んで、コンシュマー(大衆)相手に広がっていかないことが弱点になりがちだが、DSEは「コア層のツボ」を程よく大衆化させ、従来あまり込み入った情報を持たない浮動層を動員する事に長けている。

自分たちが扱うジャンルの“商品”に対して、客観的な距離を持って接しているからだろう。いいかえれば選手を“好きになり過ぎない”クールな姿勢が貫かれているのだ。格闘技業界の場合、特にマニアが嵩じて業界入りする人間が多く、“商品”である試合や選手に対して客観性がもてなくなってしまうケースが多い。だがファンが求めるものは、常に流動的で一つところにじっとしていてくれない。

“商品”に愛情を持ってしまったプロモーターは、その市場意識に対するフットワークが重くなってしまうが、DSEはあくまで顧客のニーズを最優先する。「今一番求められているもの」を徹底して準備しようとする。常に新しいニーズを探り、必要なら外部からの調達をためらわない。これまで築いて来たものを“壊して”でも新しい価値を作り出そうとする。ビジネスとして徹底しているのだ。

少なくともPRIDEのリングというのは、そういう意識で経営されてきた場所である。

今回の「ハッスル」運営に関しても、かつてRINGSやUFCでマニア層にだけ支持された団体の格闘技選手たちを、一般層に知られる存在に仕立てて見せた経験が生きているように思う。RINGSのKOK王者とは言え、まったく一般的知名度のなかったノゲイラやヒョードルが、いまやスポーツ誌のトップを飾り、UFCから来たコールマンやヴァンダレイ・シウバがCMキャラにまでのし上がった。これもDSEが中途半端に彼らを愛さなかったからだと僕は見ている。ご存知のとおりPRIDEは常に選手に過酷なマッチメイクを与え、それを乗り切らなければ非情に切り捨てる。元RINGS王者であろうが、UFC王者であろうがお構い無しに弱肉強食の構図の中に選手を放り出して闘わせる。その妥協のなさこそが、「第三カテゴリー」を嗜好するファンにとっての、最大のエンターテイメントであることをDSEは知っているのだ。そしてその繰り返しの中で勝ち抜いてきた一握りのトップエリートだけを優遇する。だからこそ、彼らの存在は際立つことになったのだ。

「ハッスル」に関してもそのスピリットは通底している。

新日本プロレス時代を離脱後、ZERO-ONEで合体した橋本と小川のコンビは地上派放映のない団体の常で、マニア人気を超えるピークがないままの日々をすごしていた。しかし、日本人プロレスラーの供給窓口を求めたDSEが、ブレーンである紙のプロレス編集長山口日昇氏を通じてZERO-ONEとの提携を確立。だが、そこで彼らに対して、ZERO-ONEのマットの試合をそのまま「デリバリー」することを許さなかった。

「ハッスル」のコンセプトにしたがって、彼らにも徹底した新キャラを与え、それに適合できるかという試練を与えたのである。小川は「キャプテンハッスル」、橋本は「ハッスルキング」と名乗ることになり、毎回ヒールとなった“高田総統”の強烈な侮蔑に晒される。新日本プロレスのエースであった橋本、そしてオリンピックメダリストであった小川のそれぞれの経歴からすれば、ありえないような狂態である。だがあえてその栄光を自ら踏みにじった分の落差は、「一時代を築いた人間が、陳腐なコメディを必死に演じる」というエネルギー量に転化されて客席に伝わる。

従来のプロレスが、リアルファイトビジネスの勃興によって衰退の道を歩まざるを得なくなったのは、まさにそれまで築いてきた「キングオブスポーツ」の栄光を捨てることが出来なかったためである。猪木が他ジャンルの格闘家に異種格闘技戦を仕掛け、また馬場が閉じた全日本のリングのなかで営々と守り続けた三冠ベルトの栄光は、昭和という時代、そしてリアルファイトビジネスがなかった時代ゆえに作り出せた、過去の栄光でしかない。

リアルファイトが「第三カテゴリー」のスポーツビジネスのシェアを奪い取った現実に直面しても、まだ旧来のプロレス興行は「第四カテゴリー」のスポーツとしてビジネスを再構築することにためらいを見せていたように思う。その不徹底さが逆に客離れを呼んだのではないだろうか。

「ハッスル2」を嚆矢として、DSEはそうした旧プロレスの姿勢自体を批判する、メタフィクション(現実と架空の物語を同時に小説に取り込む現代文学の手法)へと転化していく。

「ポークとチキン」という侮蔑の台詞を受け入れ、「ハッスル」というファンタジーワールドの住人と化す事によって、橋本と小川は逆説的なヒーロー像への道を歩み始めたのである。
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