「投」の技術を葬り去った「受け身」という究極ディフェンス
余談だが、僕もこの受け身という技術の凄さは身を持って経験したことがある。実は僕自身の話なのだが、中学時代体育の授業でたまたま柔道部の顧問が柔道を担当したため、死ぬ程受け身を叩き込まれているのである。当時は「こんなモン身に付けて何になるよ」と大いに反発した物だが、その蓄積のおかげで命びろいしたのだ。
去年大阪で開催されたDEEPの取材中の話、大会最後の全選手集合写真を撮影中、つるっと足元が滑って頭からリング下に転落したのである。エプロンサイドに立った状態で背中から落ちたわけで、頭部はそれこそ約2メートル以上の高さを落下している。素直に床に頭を打ち付けていたら、失神ぐらいでは済まなかったかもしれない。
だが、肉体に刻まれた動きと言うのは凄いもので、僕は着地の瞬間、反射的にリング下の床を叩き、首を丸めた「肩口受け身」を取っていたのだ。
自分でも驚くぐらい全くの無傷であった。さすがにあまりの無傷ぶりに、あのスパルタ教師を見直す気になったぐらいである。ただし、胸元に抱えていた一眼レフのレンズは根元からぽっきり折れ、五万円也の損傷。
正直、こちらの出費の方が遥かに痛かった。
閑話休題。
早い話、アローナの失神はランペイジの投げが原因ではないということを言いたかったのである。かつてランペイジはバックドロップでで佐竹雅昭の頭蓋骨を陥没させたことがある。今回のケースでも、その記憶があるためにアローナの失神KOという構図がすんなり通ってしまったわけだが、佐竹とアローナでは身に付けた技術体系があまりに違いすぎる。
投げを含まない空手/キックの競技者であった佐竹は、当然、実戦レベルの受け身の技術は持っていない。一方、アローナは柔術黒帯の選手着地時である。較べるほうがおかしいぐらいの差がそこには存在する。
まさかのバックドロップ。佐竹はこの時のダメージで引退を余儀なくされた。 |
当然、バッティングの事実が認められれば、この一戦はノーコンテスト相当が妥当であろう。形の上ではパワーボムでのフィニッシュになっていても、結局勝負を決めたのはランペイジの頭突きなのだから。ルールに明確に刻まれた反則事項で勝負が決るということは、通常のスポーツ競技ではあってはならない事態だ。
しかし、大会から10日、未だこの決着について物議が醸されたという話は聞かない。なにしろ会場では、PRIDE審判団は元より、榊原信行DSE社長もこの結果を「ジャクソンは次にタイトルに挑戦するのにふさわしい、見事な戦いだった」と評価して、公式にランペイジの勝利として処理しているのである。このまま、秋にはランペイジのミドル級王座挑戦が実現してしまいそうな気配だ。