黒いポパイ
いきなり対戦相手のヘッドギアが、マイケルの左フックで吹き飛んだ。
顔面打撃ありのアマチュア大会では、選手の頭部防護用着用が義務付けられている。しばしば、サイズの違いですっぽ抜ける事もよくあるが、先ほどのシーンで相手はマイケルのパンチで体ごと吹き飛ばされている。要するにパワーが桁違いなのだ。なんとか立ち上がった所を、また問答無用の前蹴りで弾き飛ばしてしまう。
(まるで、ポパイのアニメだな。)
資料用のつもりで写真を撮りはじめていた僕は、ファインダーを覗きながら呆れ返った。同体重の相手を、一発の突き蹴りが小さな嵐のように吹き飛ばしてしまう光景は、いっそ滑稽ですらあった。舌を巻いている暇もあらばこそ、マイケルは畳み込むように左右のフックでダウンを奪い、一本勝ちを決めてしまった。
確かに山口氏が「面白い選手」と言うだけの事はある。ともすればガチガチの試合が続きかねないアマチュアの試合で、これだけ痛快な試合が見られたのは僥倖といってもいい事態だった。
だが準決勝ともなると、相手もそれなりに技術を持った選手になる。MAキックなどにプロ選手を輩出する谷山ジムの板倉弘典は、マイケルより長身でリーチも長い選手だった。本来間合いを詰めて至近距離で打ち合わねばならない相手だが、マイケルが例の豪快な前蹴りを多用するために、せっかくの距離が開いてしまう。彼が攻めたいと感じているなら、あまりに意味の無い技を出している事になる。あるいはまだパンチが怖いのかもしれない。相手のリズムを崩すために意識的に使っているのならともかく、逆に自分の攻撃チャンスを潰しているのだから、おそらくその想像に間違いはあるまい。
逆にマイケルのモーションを読んだ板倉のフックが、顔面に突き刺さる。一発一発の破壊力はマイケルの方が上のように感じられたが、テンポを取り戻そうとしては問題の前蹴りを多用する、マイケルの心理面での乱れが気に掛かった。試合は延長後半に入って手数に勝ったマイケルが、辛くも判定2-0で逃げきった。
決勝前のインターバル。
山口氏は道場の板の間に座り込んだマイケルの太ももをマッサージしながら、小マメに指示を与えている。疲れた表情のマイケルはその指示にハイハイと小さくうなずいていたが、ふと「ダメっすね、なんか思い通りに動けない…」と気弱な言葉を吐いた。
通算7戦目のアマチュアである。当然、教えられた技術が、そのまま試合で使いこなせている訳もない。むしろ、彼のいい分は、僕には技術以前の心理的プレッシャーの現れのように感じられた。