■テクニックvs喧嘩ファイト
試合は、まさにそうした水面下の事情を反映するように、まさかのKIDペースで進んだ。いつもなら自分から細かいパンチの連打で相手にプレッシャーを掛けて行くはずの村浜が、まったく前に出られない。怖いものしらずのKIDが大振りのパンチとルール違反スレスレの投げでプレッシャーを掛け、村浜の前進を阻んだという見かたもあるかもしれないが、僕は村浜の拳に原因を見るべきだと思う。いつものペースで行けば、確実に拳が壊れると見た村浜が、ラフで自滅するとみたKIDをのらりくらりと受け流す作戦だったのではないだろうか。
だがKIDのパンチは「総合あがり」と高をくくっていたであろう村浜の、予想を超える破壊力を備えていたのである。加えて、総合のリングではあまり見せることのなかったパンチのコンビネーションも多彩だった。1R中盤で見せたアッパーから始まる右の連打で、まず最初のダウンを奪ってみせる。
普段、ポーカーフェイスの村浜の表情が明らかに焦りを含んだものに変わったのはこの直後だ。この表情を引き出した事が、逆にそこまでは特攻覚悟でやれるだけやってやろうと思っていた“チャレンジャー”気分のKIDを、一気にノセてしまったのだろう。
ノーガードで村浜を挑発し、ギラギラした目つきで相手を威嚇する表情に、“悪魔皇子”と恐れられたヤンチャ者のチャンピオン、ナジーム・ハメドの影を見た人は少なくあるまい。事実、不遜な発言や異常なまでのハイテンション、そして不規則ながら破壊力抜群のパンチなど、KIDの戦いぶりには不思議なほどハメドの影がちらつく。
テクニシャンと呼ばれる選手は、逆に言えばセオリーを自らの中に焼き付けた努力型の選手であり、こうした破天荒なセオリー無用の選手に弱いもの。
KIDの独自のリズムや、異様な角度やタイミングで繰り出されるパンチに、逆に村浜は試合のペースを完全に奪われてしまったのだ。しかしそれもキックの試合としての整合性だけを言えばの話であって、ただ相手を倒せばいいという本能レベルの戦いで言えば、明らかに正解。投げや後頭部へのパンチという反則も、それ自体で相手を傷つけようというよりは、相手の神経を逆なでし冷静さを失わせるための、心理戦の武器になっていたのだろう。無論、KIDにすれば、そんな冷徹な計算というより、相手を嘲弄するためだけの攻撃に過ぎなかったのかもしれないのだが。
何とか形勢逆転を狙って、パンチを当てにいく村浜だったが、絶好調時のスピードやキレが全く感じられない。逆にムキになっている分モーションが盗まれているのは明白で、右ストレートのカウンターにまたもやアッパーを喰らっての大の字のダウン。カウント8で立ち上がったものの、もう目の焦点が合っていない。その直後のパンチラッシュでKO負けが宣告されたのも、無理はなかった。
もし村浜がKIDの潜在能力をもっと恐れていれば、少なくともSuper J-Capとの連戦は避けて万全の準備を進めていたであろうし、もし“本業”を優先するのであれば、MAX自体を辞退していたことであろう。「喧嘩屋でしかない総合の選手」という過小評価が、智将村浜をして策を誤らせたのだ。
策士策に溺れる、ではないが、知性に優れたテクニシャンが喧嘩屋の野生を読みきれず、その怒涛の攻めにヒザを屈した構図だった。
(後編に続く)
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