ドイツやイタリアなどの海外サッカーや、日本のボクシング界などにおいて、八百長事件や八百長疑惑が頻発している。かつて台湾プロ野球を揺るがせた事件を通して、八百長の根幹を探る。
・【台湾野球】八百長はなぜ起こるのか(1)→
・【台湾野球】八百長はなぜ起こるのか(2)→
八百長発覚後、寂れる台湾球界
台湾プロ野球は、1996年の選手監禁事件や1997年の八百長選手逮捕を通して、人気がどんどん下降していった。97年に2リーグ化し、人口2000万人の島には11球団という過剰な球団数が乱立したこともそれに拍車をかけた。スター選手が分散したことに加えて、それまで培ってきた1リーグ6球団での文脈がいきなりリセットされたからだ。
野球ファンの目から見れば、野球離れを起こすのは当然のことだろう。今まで応援していたチームの中心選手が、海のものとも山のものともわからない新リーグに行き、他チームの中心選手と同じチームに入るなどは、なかなか納得のいくものではない。まして新リーグは4チームしかない。同じチームとの対戦が増え、飽きがくるのだ。
残された旧リーグは、中心選手が減少し、それまでの控え選手がレギュラーになったりした。おまけに7球団制という変則システムが始まった。97年には国民的スターの郭源治を日本から呼び戻したりもしたが、人気回復策としては焼け石に水だった。
結果、97年の観客動員はかなり落ち込んだ。90年代前半の最盛期には1試合あたり6000人台だったのに対し、新リーグ(台湾リーグ)では3000人台、旧リーグ(中華リーグ)では2000人台と苦戦した。6球団→11球団に球団数は増加し、試合数も倍増したものの、年間の総動員数でも往時を下回ったのだ。
相次ぐ球団解散、2リーグ8チーム時代へ
97年以降も、台湾プロ野球の低迷は続く。98年には中心選手が大量逮捕された時報イーグルスが解散を決めると、続く99年には三商タイガース・味全イーグルスも経営難で解散してしまった。旧リーグである中華リーグもここに至って4チームとなり、新リーグ(台湾リーグ)の4チームとあわせて、2リーグ8チーム制となるのである。
台湾リーグも初年度こそ人気の面で健闘したものの、その後の観客動員低下などによる経営の悪化は、リーグの運営をより厳しいものとしていったのである。すなわち、初年度こそスタープレイヤーを中華リーグから引っこ抜いたものの、ベテラン選手は年々衰えるし、高い外国人助っ人を契約保持しておけるだけの財源もなくなったのだ。新人の獲得も難航を極め、20世紀末から21世紀はじめにかけては、台湾リーグは中華リーグと明らかに戦力差のある、「お荷物リーグ」と化していったのである。
2001年には台湾リーグの観客動員は、1試合あたり1000人台となった。その頃の通常ペナントレースの試合は、明らかにガラガラであった。往年のパ・リーグを思い起こしてくれればよいだろう。観客はスタンドを見渡す限りおおむね3ケタで、大きな試合でもない限り4ケタの客数が見込めることはなかったのだ。