先日、今年のドラフトの目玉であった寺原隼人投手(日南学園高)が、無事福岡ダイエーに入団することが決まりました。当初は相思相愛と思われていた寺原投手と福岡ダイエーですが、巨人の猛烈なラブコールで一時は「浪人(社会人等)→数年後巨人入り」かとも噂されていました。
結局、何とか福岡ダイエーが口説き落として回り道せずにプロ入り。寺原投手もかなり悩んだとは思いますが、この判断は吉と出るのではと思います。なぜなら1位指名を拒否し、その後プロ入りした選手の成績はイマイチ芳しくないからです。
1965年11月17日から始まった過去のドラフトを振り返ると栄えある「1位指名」を受けて入団を拒否したのは昨年まで24選手。内訳は投手20人、内野手3人、外野手1人となっています。
初めての1位指名拒否をした選手は第1回ドラフト会議でサンケイから指名された河本和昭投手(広陵高→亜細亜大)。その後もプロ入りはしておりません。この当時の1位指名拒否選手は、その後もプロ入りすることが無い選手が目立ちます。最初からプロ入りする意志が無かったと理解してもいいかもしれません。
そして第9回ドラフト会議(1973年11月20日)ではドラフト史に残る拒否選手が誕生します。言うまでも無く元巨人の江川卓投手です。初めての1位指名は阪急から受けましたがこれを拒否し進学、第13回ではクラウンから指名も拒否し南カリフォルニア大へ野球留学し、第14回ドラフト会議にてようやく阪神と契約をします。この間で実に5年間もの回り道を余儀なくされます。江川投手の通算成績は266試合135勝72敗、防御率3.02。この5年間がなければ65勝を上積みし、200勝投手になっていたかもしれません。
ちなみに初めて指名を拒否した第9回ドラフトでは巨人が1位指名した小林秀一投手(愛知学院大)も入団を拒否しています。ドラフトの面白さを感じるところです。
しかし、この江川投手がドラフト1位指名を拒否した中での最高の成績を修めた選手。他に目立つ選手は第12回ドラフト会議(1976年11月19日)でロッテ(現千葉ロッテ)の1位指名を拒否し、2年後に西武1位指名で入団した森繁和投手(通算成績344試合57勝62敗82S)と、第14回ドラフト会議(1978年11月21日)で広島の指名を拒否し、翌年日本ハムに入団し、新人でいきなり22勝をマークしMVPや新人王などタイトルを独占した木田勇投手(通算成績273試合60勝71敗6S)の2人くらいです。また投手として指名を拒否した20人中、プロ通算50勝以上をマークしたのは前記した江川、森、木田の3選手のみとなっています。
ちなみにこの50勝をボーダーラインにして、投手として現役最後の1位指名拒否経験がある小池秀郎投手(現大阪近鉄)が入団した第28回ドラフト会議(1992年11月21日)までの活躍度の統計をとってみると、ドラフト1位指名→入団選手では、219選手中72選手が通算50勝以上を記録(率に直すと3割2分9厘)しており、前記した拒否経験者では20選手中3人(率に直すと1割5分)と比べても、いかに回り道したことが大きかったかを表していると思います。