有名かつ名将のベングロシュを招聘
引き抜かれたベルデニックがチームを去った後に就任したのは、元チェコスロバキア代表監督のジョセフ・ベングロシュだった。90年のイタリアワールドカップで同国をベスト8に導いただけではなく、その後も欧州などでコーチの指導をする重役を担っていた程の人物で、2006年のドイツワールドカップではFIFAテクニカル・スタディー・グループのメンバーでもある。そんな大物なベングロシュは、元広島やジェフで活躍したイワン・ハシェックなどからジェフに関する情報を事前に集めており、準備万端でリーグに臨んだ。
しかし、初年度という事や彼自身が高齢のため万全では無かったことなどの原因もあり、ファーストステージ8位、セカンドステージ11位と良い成績を残せなかった。一昨年まで万年最下位争いをしてきたチームからすれば十分な結果である。
欧州路線の切り札、オシム
健康上の理由により退任したベングロシュの後を引き継いだのがイビチャ・オシムだった。ベングロシュ同様、90年のイタリアワールドカップではユーゴスラビアをベスト8に導くなど、実績は十分だった。大物である彼が日本に来るきっかけの1つは、東京オリンピックで来日した際の日本の素晴らしさだといわれている。彼のスタイルは持論をチームに当てはめるのではなく、そのチームに最も適した戦術を考えるという柔軟性がベースになっている。そこで戦力的には決して十分とはいえないジェフに当てはめた戦術が、人一倍走る事だった。そこに注目されがちだが、走る事は最低限の事であり、その先には考えるサッカーを選手に植え付けた。
3対3の練習でも攻撃側が手詰まりになると、オシムは周囲で順番を待つ選手に「何故助けない」と選手に注意する。すると4対3が4対4になり、選手たちは常に考えるようになり、最後には狭いコートに10人以上が入り込む練習に様変わりをしてしまう。その結果、2003年のファーストステージから2005年まで3位、2位、7位、2位、4位と高い成績を残した。
ちなみに、ジェフの公式サイトのジェフユナイテッド市原・千葉の軌跡には4位以上の時だけ順位が記載されている。