ある意味、2002年ワールドカップで最も話題になった事かもしれない「中津江村騒動」。あれから2年近く経った村の様子を大分県出身のライター江藤高志氏がレポートしてくれました。

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「何もないからいいんだ。我々はサッカーをしにきたんだ」

山村に特有の、曲がりくねった細い道路をひたすら走り続けると、おもむろに黄色と赤と緑というカメルーン国旗に使われる色彩が目に入ってくる。過疎の村には似つかわしくないディスプレーではあるが、こと、この村に限っては違和感はまったくない。

日韓共催W杯において、日本中の大多数の予想を裏切ってカメルーン代表のキャンプ地に選定され、遅刻をはじめとしたエピソードで注目を浴びた中津江村は、カメルーン代表をめぐる騒動の中で何を生み出し、そして村には何が残ったのだろうか。レポートしたい。

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誰もが間違うことなく発見できるであろう鯛生スポーツセンター(写真)入り口から、カメルーン坂と名づけられた急斜面の坂を上りきると、管理棟があるスペースへと出る。取材日はちょうどサガン鳥栖がキャンプを張っており、選手たちが思い思いに練習グラウンドへ降りていく姿が見られた。

管理棟に入り取材前の挨拶をしてピッチへと移動すると、青々としたきれいな芝が一面に広がっていた。少年からプロまで。さまざまな年代のニーズを満たす立派な施設だ。

厳しい練習をこなす鳥栖の選手たちの様子を見守った後、長谷俊介所長に時間をとっていただいて話を聞かせていただいた。その話の中で、長谷さんが言葉を尽くして感激していたのが、2003年11月19日に大分のビッグアイで開催された日本代表vsカメルーン代表という親善試合の話だった。

「あれはもう、すごく楽しかったですね。あんなお土産をいただけるなんて。最高のお土産でしたね。ワールドカップに出場したチーム同士の、ナショナルチームの試合を見れて、さらにアウエイ側で見れる。『日本人なのにカメルーン代表を応援するなんて』という文句も言われませんでしたし、逆にぼくたちも入れてくれ、というノリがあった。本当に楽しかった」

長谷さんは笑顔で、思い出の試合を振り返ってくれた。