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2002年ワールドカップ・カメルーンキャンプ地 中津江村レポ(5ページ目)

ある意味、2002年ワールドカップで最も話題になった事かもしれない「中津江村騒動」。あれから2年近く経った村の様子を大分県出身のライター江藤高志氏がレポートしてくれました。

執筆者:小野寺 俊明

今現在、中津江村には市町村合併の問題がのしかかっている。一昔前であれば「村」という言葉の語感の悪さに出身を隠していた村民が、「中津江村」という地名を残してほしいと意見がまとまっているという。日田市との合併後も日田市中津江「町」ではなく中津江村という名前が残る方向で話が進んでいる。それはカメルーン代表を受け入れたことによって村人の心に誇りが生まれた証拠でもある。出身地への誇りは愛情となり、地域の人材を育てる。

人材育成という観点で言うと、サッカーにかかわる場ができたのも大きい変化だろう。前述のとおり中津江村にはレリオン中津江というサッカーチームが結成された。レリオンとはフランス語で"le lion"と表記し、ライオンを意味する。もちろん「不屈のライオン」と呼ばれるカメルーン代表にちなんでの命名だ。チームの練習は毎週水曜日の夕方に鯛生スポーツセンターにて。世代間交流と、スポーツを通じてのコミュニケーションが続いており、鳥栖の二次キャンプ中には鳥栖のスタッフとレリオン中津江が試合を行うなど外部との交流もあるという。もちろんそうした交流はチームが存在するからできるわけだ。

現在、鯛生スポーツセンターに赤星誠一(写真)という若者がアルバイトとして勤務している。彼は大分トリニータにも在籍したことがあり、ザスパ草津を退団後アルエット熊本に入団した中津江村出身のサッカー選手だ。アルエットというチームは、仕事を持つ人たちが集まったアマチュアチームで、赤星がサッカーを続けられるのも鯛生スポーツセンターという受け皿があったからだ。近い将来になるのか、まだまだ先の話になるのかわからないが、赤星がその経験を生かして指導者として常駐する日が来ると、中津江村出身の日本代表選手誕生の夢へと一歩近づくことになる。

もちろん中津江村に問題がないわけではない。中津江村というのは非常に広い範囲にまたがっており、自動車を持たない人たちにとっては移動するのが困難な地域でもある。そのため、子どもたちを中心に練習への参加人数が減る傾向にあるという。村民に芽生えた誇りと、それをサッカーという形で実践する組織は生まれた。しかしその組織を利用する手段がない。そうした問題をどのようにクリアしていくのかは、今後の課題となる。

2004.3.4 Reported by 江藤高志

江藤高志氏のHP:ふっとぼうず

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