“私の男”とはだれなのか?
私の男は、ぬすんだ傘をゆっくりと広げながら、こちらに歩いてきた。という一文で『私の男』は始まる。2008年6月夕方、雨の銀座。結婚式を翌日に控えた腐野花(くさりの・はな)は、婚約者の美郎(よしろう)と父の淳悟(じゅんご)と3人で会食することになっていた。
“私の男”というのは、美郎ではなく、淳悟をさす。娘が父を“私の男”と呼ぶ。しかも、花の一人称は“わたし”。“私の男”というときだけ、漢字になる。漢字とひらがなの使い分けひとつでふたりの特別な関係を感じさせるのだ。言葉を選び抜いて書かれた一文、一文がすごい。
このとき花は24歳、淳悟は40歳。花は9歳のときに震災で家族を亡くし、親戚にあたる淳悟に引き取られた。それ以来、淳悟とは離れられないと思っていたのに、花は結婚する。淳悟とはまったく異なるタイプの美郎と。第1章では花が新婚旅行から帰ってきて、淳悟が消えたことを知るまでを描く。
なぜ淳悟はいなくなったのか? 父と娘の過去に何があったのか? ふたりの秘密を抱えているのは、淳悟が花に贈った“サムシングオールド”――死者のカメラだ。
第2章は2005年11月、第3章は2000年7月、第4章は2000年1月、第5章は1996年3月、最終章は1993年7月と、花と淳悟がいっしょに暮らした年月をさかのぼっていく形で物語は進む。カメラのフィルムを巻き戻すように。舞台も東京から北の町へと移ってゆく。雨雲が北上してゆくように。
本書を何度も読み返したくなる理由とは?