『月は静かに』
丸山健二 新潮社 2400円
この本を買いたい!
■創造力の極限に挑む「庭作り」から生まれた大作。魂を引き絞って、引き絞りきった末に生まれ出る、硬質で重量感ある描写は健在!
――無限なる現在と尽きることのない希望によってしっかりと支えられ、常に流動している。左右均等のこの世界は、美の無尽蔵な宝庫として真価を存分に発揮する――
生硬と思われるほど硬質な、大仰と思われるほど重量感のあるこの描写。ああ、これぞ丸山健二。お元気そうで何よりです、本当に。1ページめを開いて、私はまず、ほっとした。そして、よっしゃ、気合入れて、読むぞ~と。
少なくとも、個人的には、この著者の作品は、気合を入れ泣ければ読めない、いや、気合を入れる価値があるのである。
著者の『虹よ、冒涜の虹よ』は、10年以上以前の私にとって、しごく特別な位置をしめていた作品であった。背に七色に輝く刺青を背負って暗黒街を疾駆する主人公、幻影が散りばめられた魔術的リアリズムに満ちた作品世界。
いや、正直のところ、かなりガツンときた。
そして、月日が流れ、彼が信州・安曇野に住居を移しそこで白い花ばかりの庭作りに没頭しているという話を聞いた時には、いささかガッカリしたものだった。ああ、あんなギラギラした作品を世に出した丸山健二が、「癒しの庭造り」!? ガーデニングの歓びを描いた『安曇野の白い庭』は読まずじまいだったのだが・・・。久々の長編、しかも「庭」を重要なモティーフにした作品ということで、個人的には、ちょっとした賭けの気分で手にとった。
で、考えを改めた。
著者にとって、作庭は、癒しとか、そんな生っちょろいものではないのだ。庭とは彼にとって生と死を凝視するフィルターであり、そこを作る行為は、己の創造力の極に挑む行為であるのだ、と。
前置きがすっかり長くなってしまったが、さて、本作。冒頭の言葉の主体、本作の語り手は、「庭」である。断崖絶壁を望み、冬は根雪ですっぽり覆われる不毛の五百坪の大地に野生種と園芸種が絶妙なる配合で配置された「聖なる庭」である。そして、自身の聖性を誰よりもよく理解している「庭」自身が、語りだす。己の創造主であり、管理者であった男Kの屍骸を抱いて、彼の生と死を。男は、何のために、この庭を造ったのか、そこで何を見、何を望み、何を望まなかったのか?