受難の季節のジュブナイル
ガイド:
今回の曲を聴いて、アーバンの世界が凝縮されているなぁと感動に近いものを感じました。「受難の季節のジュブナイル」というキャッチもあり、歌詞にも「受難」「ジュブナイル」というのが出てきますね。ジュブナイル小説、好きですよね。
松永:
小説もそうですが、今回の制作期間は主に映画、それも70年代から80年代にかけて、いわゆる3人娘が活躍した頃の角川映画を立て続けに見ていました。トンデモ的な解釈も含め、当時の映画は今こそヒップであると声を大にして言いたいです。邦画って近過去の作品は忘れ去られてしまいがちなので…。
薬師丸ひろ子の舌ったらずな台詞回しも、原田知世が歌う「愛のためいき」も、少女のまま時をかけて、現代すら追い越していきます。つまり、我々の描く少女は年をとらない訳ではなく、時をかけるのだという宣言です。飛んでいる少女は止まっている、それだけのことです。
ガイド:
サウンドも荘厳なイントロから超キャッチーなサビの入った展開。かと思ったら、メタルっぽかったり、谷地村さんのアレンジ癖だと思いますが、終盤はジャズと現代音楽が混じったような摩訶不思議なカオスな状態に。これもアーバンにしかない魅力です。
松永:
谷地村には呪詛のように「性的である前に、まず聖的であれ」と繰り返しました。僕はキリスト教の本質はマグダラのマリアの存在にあると考えています。娼婦のなかの聖性、カオスのただなかに一筋流れるキャッチーなメロディ。普段より一際アーバンギャルドらしいキラーチューンに仕上がったと自負しています。
浜崎:
今回ボーカルは非常に悩みました。アーバンらしい世界観といえばまさにそうなのですが、今回の主人公は現実世界の少女だと感じたので。今までの少女は理想の世界の少女というか、物語の中の主人公でしたが『傷だらけのマリア』の女の子はどう考えても実像で。アーバンの「中」の世界ではなく「外」に向かっているな、と。普段は解釈を完全に聴く人に委ねていたので、小説に例えるなら文字のような歌を歌おうと思っていたのですが、今回はリアルを生きる女の子になりきって、少女の心の叫びのような表現を目指しました。
(上部左から)谷地村啓、松永天馬、瀬々信、(下部)浜崎容子 |