テクノポップ/アーティストインタヴュー

Dr.Shingoさん、何故ドクターなの?

ドイツのForteからデビュー、スピード感あふれるトランシーな最新作『INITIATION』を10月11日にドロップするDr.Shingoさんにインタヴュー。でも、何故ドクターなの?

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

博士号もっているのですか?

――はじめまして、Dr.Shingoさん。Dr.ShingoのDr.の敬称はどこから来たのでしょうか?

Photo by Keita Shinya (ROLLUP studio.)/Body paint Takeru Amano
初めまして!これまでにも多くの人に「何でドクターなの?」と質問されてきました。
ホントに博士号をもっているの?とかミュージシャンじゃなくてヤブ医者なの?とか・・・。
ちょっと長い話ですが、よく僕のプロフィールにも書かれている通り1997年から1999年の2年間、アメリカはボストン州にあるBerklee College of Musicという音楽学校に留学をしていました。日本ではバークリー音楽院という名称で紹介される機会が多いのでご存知の方もいらっしゃるでしょう。

当時は英語が殆ど喋れない状態で渡航してしまい…不動産で物件を探して交渉する、などと言う高度な事は出来ませんでした。そこで半年程大学の寮で生活をしていました。今もさほど変わりませんが、当時はスキンヘッドにしており、朝起きると相部屋のアメリカ人の友達がからかって、「Good Morning Master Shingo」と挨拶して来ました。ここでの「Master」は「お坊さん」の意味です(笑)。こちらも面白がって適当な事を返していたらいつの間にか寮中の外人友達の間にそのニックネームが浸透しました。そこで、当時の自分のメールアドレスを「mastershingo@…」としていました。

日本に引き上げてきて東京に引っ越しし、本格的にプロを目指して音楽活動を始めたのが99年後半ごろだったと思いますが、早速インターネットのプロバイダーと契約して自分のメルアドを以前と同じく「mastershingo@…」と登録しようとした時です。「mastershingo@…」はそのプロバイダーが定める文字数をオーバーしてしまったのです。自分でも気に入っていただけに残念でしたが他のメルアドを考えるしかありません。そこで思いついたのが「drshingo」だったのです。

で、その後デビューに向けてデモ曲を作り貯めてデモテープを送る、という生活に突入します。2001年、ドイツのForte Recordsというレーベルのオーナー、故Christian Morgensternよりリリースのオファーを貰いました。ファーストアルバムの為の曲は全て揃い、カッコイイジャケットも完成して、さあリリースするぞ!という時、クリスチャンから「君は自分のアーティストネームをどうするつもりだ?」というメールが来ました。結構悩んでメールのやり取りをしたのですが、クリスチャンより「お前がメルアドに使っているドクターシンゴってかっこいいじゃないか。ソレを使ったらどうだい?」と提案されました。Dr.Shingoの名前の由来はクリスチャン・モーゲンシュタインに命名された、という訳です。

このDr.Shingoという名前は僕の今までの体験や思い出が沢山詰まっている大事なアーティストネームなんですよ。

――元々はジャズ・ギタリストを目指してボストンのバークリー音楽学院に留学されていたそうですが、どのようなきっかけでテクノ~エレクトロに転身されたんでしょうか?

僕は中学生の頃に大友康平さん率いるHound Dogが大好きでロックを聴くようになりました。

そして、映画「Back to the Future」の第一作目の中のワンシーン・・・マイケルJフォックスが自分の両親が踊っているダンスパーティーでギターを弾いているシーンに感動してギターを弾き始めました。高校ではジミ・ヘンドリックス、レッド・ツエッペリン、エリック・クラプトン、サンタナ…もちろんチャック・ベリー(笑)と当時の僕の歳では古い(けどカッコイイ)ロックを必死でコピーしてライブをしていました。

ベンチャーズも大ファンで、コピーバンドを作って結婚式やどこかの会社のパーティーで演奏してギャラを貰ったりした事もありました。音楽の趣味はドンドン渋くなって(笑)、ロック→ブルース→フュージョンと変化し、バークリー音楽院へ留学をした時には「ジャズ以外は音楽じゃない」という程ジャズにハマッていました。自分の音楽の趣味の通り、ジャズの勉強をする為に渡米した様な物だったので、大学の専攻はJazz Compositionという、ジャズの作曲や即興演奏の方法論を学ぶ学科でした。

留学2年目になった頃、同じ大学に通っていた日本人の友人からクラフトワーク、ノイ、アシュラ・テンプル等のジャーマン・ロックのCDを紹介されました。非常に衝撃を受けました!そこからはもうテクノ一辺倒になってしまいました。

実はその頃、既にジャズを聞く事に飽き始めていました。何故かと言うと、これはポピュラー音楽全体に言える事ですが、ジャズという音楽はもう既に「完成」に近い状態までに発展しており、先人のミュージシャンはあの時点で僕が思いつくような音楽的なアイデアをことごとくやり尽くしている状態なのです。これは簡単に言うと、ジャズには何か新しい事をする余地がもう残されていない、という事です。ここで自分がジャズを勉強し続けてギタリストとしてのテクニックが向上したとしても、果たして自分に今まで誰も聞いた事の無い様なジャズを生み出す事が出来るのか、このままギターを練習してもただギターが上手いだけの「職人」になってしまわないか…自分は「ミュージシャン」になりたかった筈なのに、これでは「ギタリスト」になってしまうのでは…そんな事を真剣に考えていた時期に出会ったテクノは非常に衝撃的でした。

生バンド畑で音楽をやってきた自分にとって、テクノのサウンドその物が新鮮だったのもありますが、もっと自分にとって革新的だったのは「音」をシンセサイザーで1から作る事ができ、それが「楽器」としてトラックの中で演奏されている事や、コンピューターで作曲が出来る事でした。シンセサイザーから奏でられる音は無限大です。それにバンドを組んで曲をメンバーみんなで作るより、パソコンを使って自分のアイデアを自分でプログラミングし、曲を作る方がとても簡単だったし楽しかったのです。

これがテクノを聞くようになったきっかけです。そして、テクノを作れば自分が「職人」ではなく、「アーティスト」になれるんじゃないか、と思ってテクノトラックを作り始めた訳です。
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