――その後、『スターソルジャーのテーマ』(写真右)というかなりゲーム歌謡と呼べる曲調に変貌しましたが、名人として戸惑いはなかったのでしょうか?
戸惑いと言われるようなものは一切ありませんでした。ゲーム音楽は音程が普通の歌より幅広いので、歌うのが大変だろうなと思っていたのですが、ちょうどいいところで歌にしてくれたので、とても歌いやすかったです。
――シングル『高橋名人の冒険島』(写真右)以降はフォーライフからファンハウスにレコード会社を移籍されていますが、何か理由があったのでしょうか?
私自身が決めたことではないので(ちなみに会社員ですから……(笑))確実な事はわかりませんが、当社の社長(現会長)とファンハウスの新田社長が昔からの知り合いでした。その関係から移籍することになった、と聞いてます。
――ファミコンソフト『高橋名人の冒険島』以降“高橋原人”というキャラクターでゲームに登場されていますね。TVアニメ『Bugってハニー』(写真右)では、アニメキャラにもなりましたが、このような“高橋名人”のキャラクター的展開について名人自身は当時どのようにお感じでしたか? もっと、カッコよく描いて欲しかったとか?
ゲームキャラっていうのは、実物と違った(というかオーバーな)事をしても問題ありませんよね。特にコロコロコミックで『高橋名人物語』で河合一慶先生が書いていたので、特に気にはしてませんでした。まぁ、カッコよく描いてもらえれば最高ですけど、あの当時は毛利君がカッコイイキャラだったので、私は原始的でもしょうがないと思ってました(笑)。
――毛利名人と対決をした『GAME KING』のビデオを笹公人さんから見せてもらいました。当時“少年少女のヒーロー”として一世を風靡した様子がひしひしと実感できます。映画のままでないかもしれませんが、名人としての技を磨くために特別な修行はされていたのですか?
修行というものはやってません。あの映画の時は練習する時間が無くて困りましたが。ただ、宣伝マンとして、どのようにプレイしたら面白いゲームだなと思われるか……ってのは考えていました。
――当時、人気絶頂時に“ヒーロー”としていろいろ日常活動に制約があったみたいですね。キャバクラ以外にしたくてもできなかった事などがあれば、教えてください(「コズミック対談」参照)。
キャバクラ以外……って事ですが、俗にいうピンク系は駄目です。それと、後になってバイクも禁止になりました。私としては、こちらの方が悲しかったです。