1997年に初めて開催され、それから昨年まで毎年、これまで11回の歴史を持つフジロックフェスティバル。開催場所やステージの構成などさまざまな変遷を経て、今や日本を代表する世界的なフェスティバルに成長した。まずは簡単にその歴史を振り返ってみよう。

それは富士のすそ野から始まった


最初にフジロックフェスティバルが開催されたのは、1997年7月の最後の週末。場所は富士天神山スキー場だった。今では“フジロック”といえば苗場スキー場のイメージがすっかり定着しているが、最初はその名前が示すとおり、富士山麓で行われたのだ。

97年グリーンステージ
97年、富士山麓で始まったフジロック。記念すべき第一回目のグリーン・ステージは豪雨の中大いに盛り上がった
これまで11回にわたって毎年開催されてきたフジロックフェスティバルだが、最初から順風満帆というわけではなかったようだ。富士山麓で行われた第一回目は今でも語り草になっている。なにせ台風が接近する中で行われたのだ。予定されていた二日間のうちGREEN DAYやBECK、WEEZERなどが出演予定だった二日目は台風直撃により中止。初日だけは開催されたものの、かなりの混乱が生じていた。郊外型の大型フェスティバルはこれが初めてだったこともあり、観客の多くは軽装で来場していたらしい。当然ながら、頭上の大雨と強風、足元のぬかるみには対処できない。身動きはとれないし、身体も冷え切ってしまっただろう。

そんな悪天候、悪条件の中、この初めてのフェスが失敗に終わったかというと、そんなことはなかった。むしろ、かえって盛り上がってしまったのだから不思議なものだ。メインステージのヘッドライナーを務めたレッド・ホット・チリ・ペッパーズのライヴなどは“伝説のライヴ”として語り継がれているほど。ライヴを見る環境が悪条件になればなるほど、観客の間に不思議な一体感が生まれるのかもしれない。そういうところも“フジロック”の醍醐味なのだろう。

98年グリーンステージ
東京湾岸での開催となった98年のメインステージとなったグリーン・ステージ(photo by MITCH IKEDA)
翌年以降は富士山麓の使用が難しいということで、再び場所探しからやり直したという。その結果98年の第二回目の開催地は、東京湾岸の豊洲、東京ベイサイドスクエアとなった。つまりこの年の“フジロック”だけは、都市型フェスだったわけだ。ステージ構成は前回と同じく2つだったが、この年初めてグリーン・ステージ、ホワイト・ステージという名称が使われている。ちなみにグリーン・ステージにはビョークやエルヴィス・コステロ、イアン・ブラウンなど、ホワイト・ステージにはイギー・ポップや東京スカパラダイスオーケストラが出演している。


99年グリーンステージ
99年から苗場で開催。グリーンステージも山に囲まれている(photo by MITCH IKEDA)
そして第三回目となる99年からは、現在と同じ苗場スキー場での開催となる。広大な地形をいかして5つのステージを設置し、三日間に100を超えるアーティストが出演した。また300人のボランティアが協力したゴミの自己管理キャンペーンも行われた。“世界でもっともクリーンなフェスティバル”と呼ばれるフジロックの原型が完成したのがこの年と言えるだろう。


その後も“フジロック”は進化を続けている。2001年からは、音楽のライヴだけでなく様々なイベントが行われ、ライヴ会場以外のアトラクションも設置された。翌年以降も、廃材を利用したオブジェが作られたり、映画の上映が行われたりと、様々なイベントが行われている。こうしてフジロックフェスティバルは、単なるライヴのイベントではなく、言ってみればライヴを中心とした音楽のテーマパークというスタイルになり、さらに進化し続けているのだ。