フサイチ一族をひきいる関口房朗(せきぐちふさお)氏は『東証一部上場企業を育てた実業家』と『日米ダービー優勝馬のオーナー』という2つの顔を持っている。なによりも目立つのが大好きだそうで、良きにつけ悪しきにつけメディアへの露出頻度も多い。テレビや雑誌で見るとなぜか“ウサん臭い”というイメージが付きまとってしまうが、なかなかどうしてタダものではない。
冠名「フサイチ」の由来は「フサオがイチバン」を略したもの。どう考えてもベタである。しかしそれをベタと思わない感覚が関口氏を支える原動力となっている。常に勝つこと、一番になることを信条とし、固定観念の壁をぶち破ることが自分の存在価値と言い切る。そして最も権威のあるレース、ダービーで日米2カ国制覇という偉業をやってのけたりするのだ。
関口氏が馬主になったのは、社長に就任し“ステイタスとしての”馬主に興味を持ちはじめた1980年。札幌事業所の女子社員(実家は日高の生産牧場)に「社長、ウチの馬を買ってください!」と頼まれ「ええよ」と返事したそうだ。んなことはないだろうとツッコみたくなるが「とりあえず馬さえ買っときゃオーナーや」みたいなノリで、血統とか、厩舎とか、育成とか、メンドくさいことはぜ~んぜん気にしてなかった、らしい。
そんな風だから、愛馬に関心を持つこともなく(その後も彼女の父にまかせっぱなしで毎年購入)3年が過ぎた。そして最初に買った馬がレースに出られるようになって「馬主登録をしてない」ことに気がつく。いくらなんでもペットとしてサラブレッドを持っているわけにはいかない。知人のつてをたどり、厳しい審査を受け、なんとか馬主登録はできた。しかしそれで勝てるほど競馬の世界はあまくない。出走しては負けを繰り返す馬主人生が10年続いた。
90年代になり事業で多忙を極め始めた関口氏は、道楽でしかない怠慢馬主はもうやめようと思い、馬主協会に相談を持ちかけた。しかしその時に「ちょっと待て」と紹介されたのが関西屈指の調教師だった小林稔氏。この出会いが新たな馬主人生の幕開けとなった。名門牧場に顔がきく小林師からハイレベルな馬を買い、デビューさせソコソコの活躍をすると、競馬への情熱に火がついたのだ。もともとは技術者だった関口氏、真剣に『勝てる馬』の探究を始めた。