筋道とおってないところがある
五郎が自分がガンであると思いこんでいたのに、羅臼にいった後すっかり忘れてしまってました。いつ間違いであると気がついたんでしょうか?
それに借金。1500万を月3万、41年8ヶ月で返すという返済プランは老人(高橋昌也)のやさしさとはいえ、たしかに長すぎて返す気がなくなるというのはわからないではない。10年ぐらいの方が必死で働いて返そうと考えるはずです。
しかしそれはそれとして、借金を返そうと富良野に帰った純ですが、いったいどうやって返すんでしょうか。五郎のような生活に入り、自分たちの食い扶持の分は大丈夫でしょうけど、毎月三万稼げるとはどうも思えないんですが。やはり少しは働きに出るとかしないとしょうがないような。
自給自足生活と貨幣経済の対比という『北の国から』の主要なテーマに関わる問題だけに気になります。
倉本聰必殺パターンが決まらない
この記事のタイトル「『北の国から'XX』は殺しのナンバー?」にも掛かっているんですが、倉本聰の得意技は「作中で主要登場人物を効果的に殺すこと」だと思います。
『北の国から』シリーズだと、連続ドラマ版で正吉くんのおじいさん(大友柳太郎)の転落死と母(いしだあゆみ)の病死、『'87初恋』でれいちゃんの父が霜対策中に母を誤ってひいてしまい、それが別れにつながる。そして『'98時代』で純と対立した状態で事故死した草太兄ちゃん(岩城滉一)。いずれも登場人物が痛みを感じ、かつ視聴者にとっても意表をつく絶妙なタイミングで殺しています。
ドラマをラストあたりで盛り上げるために主要登場人物を殺すのはよくある手です。いまのクールだと『太陽の季節』が最終回、『天体観測』が一つ前、死ぬと思わせて死ななかったのが『東京庭付き一戸建て』と『愛なんていらねえよ、夏』。
しかしこの手法、よく使われる過ぎるので「安易だ!」と攻撃されるパターンでもあります。しかし倉本聰脚本の場合、あまりにも見事なタイミングで殺すため、そんなことはいわせません。
倉本聰の過去の作品では(最近ほとんど『北の国から』しか書いてないので思い切り古いんですが)、もっともすごかったのは『前略おふくろ様』(75~76,NTV)。主役の萩原健一の故郷の母親(田中絹代)の葬儀シーンを放送する四日前に、田中絹代が世を去るという偶然ですが見事なタイミングでした。(主役がぼそぼそっとしゃべるナレーション路線が確立した作品でもあります)
個人的に好きなのは『川は泣いている』(90,テレビ朝日)。