テレビマンユニオン会長の萩元晴彦氏が9月4日、脳梗塞で亡くなられました。享年71才。
荻元氏は1953年にラジオ東京(現TBS)に入社、1970年にテレビマンユニオンを中心になって設立し初代社長に就任。『遠くへ行きたい』『オーケストラがやってきた』などを制作、近年はカザルスホール総合プロデューサ、長野県出身ということもあり長野冬季五輪総括プロデューサ(萩本欽一司会の閉会式は萩元色が強かったと思います)も兼務していました。
ドラマも大きな柱として制作しており、日本のテレビ、テレビドラマ史上における功績は
1.日本初の制作会社設立
2.ドキュメンタリードラマの確立
3.初の三時間スペシャルドラマを制作
と三つの先駆者だったことにまとめられます。
1.日本初の制作会社設立
1970年にTBSの制作の人間が人事異動で現場をはずされることをきっかけにして15人が退社、萩元氏を中心にして日本初の制作会社となるテレビマンユニオンが設立されました。「ユニオン=組合」という名前にふさわしく、メンバーの退職金が資本金の中心となる制作者のための会社で、現在も会社の運営を合議制で決めるなどフリーの制作者集合体という性格を維持しています。
同年、それまでの木下恵介監督の個人事務所にTBS、博報堂が共同出資して、木下恵介プロダクションが設立(79年に木下プロに改称)、『冬の旅』『それぞれの秋』『冬の運動会』など人間の内面を深く掘り下げた大人のドラマシリーズ『木下恵介・人間の歌シリーズ』を制作します。
さらに同じ年、TBS、電通と渡辺プロとの共同出資でテレパックを設立。設立に携わった石井ふく子プロデューサの『ありがとう』などを制作します。
続く71年には、『ザ・ガードマン』を制作中の大映映画テレビ室が、大映本社倒産により大映テレビとして独立、その後も『赤シリーズ』などヒットを飛ばします。
TBSもこれらの会社を積極的に育成、本社の制作局とクルマの両輪となり70年代から80年代半ばまで「ドラマのTBS」の名をほしいままにするわけです。。
これは、90年代のフジテレビが社内の第一制作部と共同テレビがタッグを組んで突き進んでいったのに似ています。
2.ドキュメンタリードラマの確立
テレビマンユニオン設立後、今野勉演出で『欧州から愛をこめて』と『天皇の世紀』を相次いで制作、社会・教養ものとドラマを合体した「ドキュメンタリードラマ」というジャンルを確立します。
ドキュメンタリーと別の要素を組み合わせて新ジャンルをつくるというのはテレビマンユニオンの得意パターンで、旅と組み合わせると『遠くへいきたい』、音楽とで『オーケストラがやってきた』、教育もので『課外授業・ようこそ先輩』、クイズとだと『ウルトラクイズ』『世界ふしぎ発見!』などなど。
このドキュメンタリードラマの系譜は95年にNHKスペシャル枠で『こころの王国―童謡詩人・金子みすゞの世界』を制作、金子みすゞをテレビで本格的に取り上げることにより再評価が加速、先日TBSが制作した『明るいほうへ明るいほうへ』にもつながっていきます。