ここ数年の野島伸司脚本作品は、過激すぎる表現で賛否両論わかれていましたが『ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ』は、ちょっと違います。初回こそ、滝沢くんをいじめる、下着泥棒させる、ついにはキレてナイフを振り回させるなどありましたけど、その後は「片思い」をテーマに少女マンガ的に進んでいます。
野島脚本のこれまでの流れを整理しておくと、まずは連続ドラマデビューの『君が嘘をついた』(88年)から『101回目のプロポーズ』(91年)。デビュー後ということで評価を高めるために視聴者をいかに楽しませるか、とサービス精神をフルに発揮しています。次に『愛という名のもとに』(92年)ここで社会性を見せ始めていますが、まだサービス精神を忘れてはいません。
それからTBSに移った『高校教師』(93年)で社会性+過激さ+サービス精神と三要素が出揃い、当代随一の人気脚本家の評価を固めます。
そしてフジに戻ってからの『ひとつ屋根の下』(93年)で、エンターテイメントに社会性を盛り込み、今までの集大成となっています。ちょっと変わって『この世の果て』(94年)、ヒロインの姉妹(鈴木保奈美、桜井幸子)が作者の理想像っぽいことなど、一番書きたい書いたんじゃないか?という印象です。
そして問題の『家なき子』(94年)。これは今までと立場が違い、脚本ではなく企画での参加と一歩引いています。内容は「同情するなら金をくれ」に代表される価値観のひっくりかえしで第1話はものすごかった、しかしそれ以降はストーリーが荒くて感心できたものではありませんでした。
しかし、それでも視聴率は取った。これで「いままで自分で全力で書いてきたけど、この程度で視聴者には十分なんだ」と“見切った”んではないか?と思います。
代表的なのは『ひとつ屋根の下2』(97年)の最終回で、小雪(酒井法子)が死んだように見せて最後に結婚させる、視聴者をだますような展開。もちろん話題にはなりますが、技巧に走りすぎ、作者の手が見えすぎです。真に面白いドラマは確かに作者が作っているんだけれどそれを感じさせない、神の手に操られたかのようにできたドラマだと思います。
技巧に走る流れが変わったのは日本テレビで初めて脚本を書いた『世紀末の詩』(98年)。さまざまな「愛」を寓話的に描くというこのドラマ、どう見ても視聴率を取れそうな内容でなく、若い頃からお世話になっているTBSやフジテレビでは採用されそうにない、売れてからの付き合いの日本テレビだからこそできるドラマでした。
『世紀末の詩』で好きなことが書けたからか、それともやはり低視聴率に終わったので信用を回復する必要があったからか『リップスティック』『美しい人』(ともに99年)はヒロイン像や破滅的に愛を成就する結末など『この世の果て』の頃に戻った雰囲気があります。
そして『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』は学園が主な舞台ということもあり『高校教師』的に進んでいます。ということは、やっぱり結末は破滅的なんでしょうか? 雰囲気を壊さない結末であるといいんですが――。
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