いけいけコマさん!
病児保育が当たり前の社会インフラとなれば、仕事と子育てを両立できる社会も実現可能に |
「左派」を毛嫌いする区長に市民運動と勘違いされて施設営業を拒否された時には、「施設を必要としない」保育の形を思いつき、利用料金を抑えると経営が成り立たないことに悩んだときには「保険共済型」のビジネスモデルをひねり出す。
彼が引用するマルクスの有名な言葉、「下部構造(経済、産業)が上部構造(文化、価値観、政治)を規定する」は、病児保育が当たり前の社会インフラとなることで、仕事と子育ての両立もまた当然の価値観になるという光を示唆する。
今でこそ「男女平等精神の子育て先進国」と賞賛されるスウェーデン社会も、過去は男性優位で、男性の育休取得なんて見向きもされない時代があった。しかし、北の小国で税収を確保しなければいけない、女性もふくめた良質の労働力を確保しなくてはいけないという社会的な要請が「国策としての男女平等思想」と「保育の行き届いた大きな政府」を作り上げたのである。資本主義国にして社会主義国的なサービスを実現した「第3の道」「黄金の中道」は、別に大きな政治的理念が作ったのではなく、身近な問題である保育が下支えした結果なのだ。
フローレンスの事業に対して「迷惑なんだよね。私の仕事が増えるから」と区役所の役人に言われた駒崎氏が、帰り道に考えたことが、胸に刺さった。行政の現場は、そんな感覚の役人達が漫然と動かしてきた。「自分は関係ない」と社会のあり方や政治に無関心なひとは、いざ自分や自分の家族が不条理な目に遭ったとき、ようやく行政と自分の関係に気づくのだろう。でも「その時」になってからはどうすることもできず、諦めてただ「誰にも届かない呪いの言葉を吐き続けるのだろう」。
諦めなくていい社会を、彼は創るだろう。オンナのコは「脚重視派」で、できるなら「モテる光線を浴びたい」と願う、フツーの下町育ちの非凡な青年、1979年生まれ。下の世代にこういう人が育っているのだ、と彼の軽やかな跳躍をまぶしく見上げ、では私には何ができるだろうと自問しながら、この本を閉じた。
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