□「ラ・ペルラ」の誕生
イタリア北部フィレンツエとベニスのほぼ中間に位置し、古くは16世紀の頃から絹織物の交易の要所として栄えたボローニャは、永くヨーロッパの貴婦人達の間でもてはやされた豪華なコルセットリーの産地として有名でした。
「ラ・ペルラ」の創始者ミセス アダ マゾッティは1954年 このボローニャに小さなアトリエを開きました。
女性がランジェリーを選ぶとき、「自分が満足する」「相手を満足させる」という二つの意図を持っていることを「ラ・ペルラ」は本能的に理解していました。そして、この世には それぞれ違った願いやライフスタイルを持つ女性はいても、「上品でありたい」、「優雅でありたい」と願う思いは 共通していることを見抜いたのです。
□美しさへのあくなき追求と夢への挑戦
「ラ・ペルラ」が半世紀近くものあいだ名実ともにトップブランドの地位を
維持し続けてきたことには 理由があります。完璧に近い製品を創造するためには 全てのエネルギーと時間を惜しみなく注ぎ 細部にまで納得のいく美しさを追求する。これがアダ マゾッティの哲学でありモノづくりへの姿勢でした。息子であるアルベルト マゾッティはそんな彼女の思想を受け継ぎ ランジェリーメーカーとしては異例なほどの徹底した品質管理と合理的な生産システムを構築しました。さらに、彼独自のアイディアや美意識を織り混ぜることで
新たな理想を実現したのです。
□紺碧の海に生まれる神秘のしずく“真珠(ラ・ペルラ)”
1960年ラ・ペルラは、それまでにはない明るい色を取り入れることで
多くの女性を魅了しました。
続く70年代には、新素材開発など研究分野を広げ、ストレッチ素材のブラジャーとショーツを誕生させ センセーションを巻き起こしました。世界初のビキニタイプの水着を発表したのもこの頃です。
さらに ランジェリーがファッションとして認識され始めた80年代 現代のトレンドの源流とも言える 見られることを意識したランジェリーを発表しました。
そして90年代、美の追求はさらに深まり パリコレなどを通して 全世界の女性達から熱いまなざしを向けられました。
紺碧の海に生まれる神秘のしずく“真珠(ラ・ペルラ)”と名付けられたその名のとおり 優雅で気品にあふれたラ・ペルラのランジェリーは時代とともに変化し続ける女性たちの欲求に応えてきました。
ラ・ペルラホームページ