「パパ、また明日ね……」なんて、やっぱりおかしい!
顔を忘れられたり、「また明日」と言われるのはつらい
そんなふうに納得するしかなかった当時(20代半ば)、ガイドは自分自身の中に、そして家庭内に様々な矛盾があることに気付きながらも、それらと向き合って現状を少しでも改善しようとすることはありませんでした。その頃のガイドが子どもから言われた一言のなかで最も辛かったのが見出しの、「パパ、また明日ね……」という言葉です。
子どもが寝静まったあとに帰宅し、目覚める前に出て行く。そんな父親を追いかけるように発せられたその一言は、これまでの自分を省みるに十分すぎるほどの重みがありました。
我が子は父親に意地悪がしたくて言ったのではないのです。「パパはどうせ今夜も帰っては来ない。でも、もしかしたら明日の朝になれば会えるかもしれない」と、そう思っているに違いない……。まだ幼い子どもの本心から発せられたその言葉に、「くそっ!自分にはこんな生き方しかできないのか!?」とひどく苛立ったまま出勤したのを今でも思い出します。しかし、当時は今ほど「子育てする(したい)パパ」が理解される社会ではなく、それを理由に仕事量を減らすことが許されたり、周囲に良き理解者がいるなどということはあり得ませんでした。
ただ、どんな理由があろうとも我が子に「パパ、また明日……」なんて言わせておくわけにはいきません。そんなのやっぱりおかしいですよね。ともかくそんな状況を一刻も早く変えたかったガイドは必死で考えました。当時は男性向けの育児情報など全くなかった時代、参考にするものがほとんどなかったガイドは考えに考え抜いた結果、ある結論にたどり着きました。その結論とは、具体的には次ページの通りです。
>> ガイドの「家族のほころび」修復法