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『ズッコケ』作者語る 君に伝えたいこと1

累計発行部数2100万部。1980~90年当時、小学生の冒険小説バイブルだった『ズッコケ三人組』。その作者の那須正幹さんに、制作秘話、今の子どもに思うこと、そして今の大人へのメッセージをお聞きしました。

執筆者:遠藤 雅大

8月に突入し、世のちびっ子は長い夏休みの真っただ中。最終日、宿題に追われ泣きそうになった苦い記憶をたどりつつ、読書感想文で『ズッコケ三人組』について書いたことをふと思い出した……。そういえば、その『ズッコケ』シリーズはすでに終了し、『ズッコケ中年組』が2005年暮れに刊行されたと新聞で読んだ記憶がある。

累計発行部数2100万部。1980~90年当時、小学生の冒険小説バイブルだった『ズッコケ三人組』シリーズ。当時の気持ちを振り返りたくて、『ズッコケ』シリーズ作者の那須正幹さんにお話を聞いてみました。『ズッコケ』シリーズ秘話、今の子どもに思うこと、そして大人になった当時の少年たちへのメッセージ、満載です!



住所を掲載する理由

那須正幹(なす まさもと) 1942年広島県生まれ。
1970年『首なし地ぞうの宝』が第二回学研児童文学賞に入選。以降、本格的に文筆活動を開始し、『ズッコケ』シリーズは78~04年まで出版され、2100万部の未曾有のベストセラーに。00年には『ズッコケ三人組のバック・トゥ・ザ・フューチャー』で野間児童文学賞を受賞。05年には続編『ズッコケ中年組』を刊行し、話題に
ガイド:まず最初に、『ズッコケ』シリーズには那須さんの住所が掲載されています。自分としては結構驚いたのですが……。

那須さん:そう?児童書には住所載せることが多いのよ。最近は、「載せないでほしい」っていう作者もいるみたいだけどね。小学校6年くらいに雑誌で「手塚治虫に手紙を書こう」っていうコーナーがあってね、それで「弟子にしてください」っていう手紙を書いたの(笑)。今でも覚えてるんだけど、返事が来てね。緑色のインクで、「義務教育はきちんと受けるように」「デッサンを身につけてくるように」など、丁寧にアドバイスをもらったんですよ。それが未だに記憶にあるもんだから、住所は載せて読者からの手紙には返信してるんです。

家に直接遊びに来た子もいますよ。自転車で日本一周している青年とか、中学一年生の子とか。この中一の子は、小6のときに「『ズッコケ三人組』の作者に会いに行きます」って家出をして失敗したらしく、中一になってやっときちんと来れたと言ってましたよ(笑)。ケースとしては、大人になってくる場合が多いですね……。やっぱり年齢が低いと難しいですから。

ガイド:自分はそのケースなんですけど(笑)。

『ズッコケ』シリーズ誕生秘話

シリーズ50作目『ズッコケ三人組の卒業式』。この作品で、26年ものロングランに終止符を打った。
ガイド:『ズッコケ』を書いたきっかけは何だったのでしょうか?

那須さん:そもそも、1976年4月~1977年3月の1年間、学研の6年生向け学習誌で『ずっこけ三銃士』という銘打って連載をしていたんですね。その当時は「ずっこけ」と平仮名でした。僕は1972年『首なし地ぞうの宝』という学研の児童書でデビューして、それから3年後の1975年の暮れ、当時の住んでいた広島県まで編集者が訪ねてきて、「連載をお願いしたい」と。「どんな内容ですか?」と聞くと、「小学校6年生向けだから、小6の男の子3人くらいが友達と力を合わせて冒険するとか、事件を解決するとかの内容でお願いしたい。いわば、子ども版三銃士ですね」と編集者が言うんですね。じゃあ、『ずっこけ三銃士』にしましょうかと簡単に決まったんです。

そのとき、「挿絵をどうしましょうか?」と尋ねたところ、編集者が「前川かずおさんを採用したい」ということで、僕も知っていたのでOKして連載がはじまりました。連載中、読者からの支持が高くて、本にできればいいなと思っていたんですよ。でも学研からは難しくて、どうしようかなーと思っていたところ、1976年の暮れ、ポプラ社の若い編集者が広島までやってきて、「何か書いてください」というんですよ。でも、よく聞いていたら、入社して半年の若い編集者だから、まあよくわかってないんですね、いろいろと(笑)。そこで、連載中の『ずっこけ』を見せて、「どうだ?本にしてみないか?」と提案してみたんです。そしたら「いいですね!」と言って、連載中の生原稿だけコピーして帰っていったんです。

しかし、待てど暮らせど、本にならないんですよね。その編集者に電話しても、いつも関係ない話で(笑)。で、1年くらいたった1978年2月にようやく本になって、届いてきたものを見たら『それいけズッコケ三人組』になっている。僕が書いたのは『ずっこけ三銃士』なのに。タイトルが変わってるわけですよ。そこで編集者に言ったわけです、「タイトル変わってるじゃない?」と。そこで編集者は答えるわけです、「三銃士は古いので、三人組に変えました」と。「それいけ」も付けたから大丈夫ですとも。僕も当時、いろんな編集者とお付き合いがあったけども、初めてですよ。作者のことわりなしにタイトルを変更されたのは(笑)。

ガイド:それは豪快な編集者ですね(笑)。

那須さん:当時、営業から結構反対されたらしくてね。「あんな漫画みたいなものを売るのか」「先生が認めるわけない」「親が買うわけない」とか言われて、大変だったみたいです。でも、若い編集者の情熱で本になったんですね。それから次作の『ぼくらはズッコケ探偵団』は世に出るのに1年半かかった。この2作目からですね、人気が徐々に出てきたのは。段々と増刷が積み重なってきて、その期間も短くなって。

そこから坂井さん(上記の若い編集者)が、「今度はいつ出しましょう」と積極的になってきて、3作目が『ズッコケマル秘大作戦』。これは最初『ズッコケ恋愛大作戦』だったんですけど、坂井さんから「小学生には恋愛はちょっときついから、マル秘にしましょう」と提案され、変更したんです。6作目の『ズッコケ時間漂流記』になると、かなりファンレターも届きだしました。人気もかなり出てきて。

ペースも乗ってきて、当時、「8ヶ月に1冊書きます」とあとがきに書いたんです。でも、刷り上った本を見ると、「8ヶ月」が「6ヶ月」になってるんですね。坂井さんに「これ、何ですか?誤植がありますよ」と言うと、「まあいいじゃないですか!もう本になってしまってますし、今から変更するのもおかしいし、あれで読者は6ヵ月後と思ってます。このままでいきましょう!」って(笑)。それで盆と暮れの刊行ペースになったんです。あれも、まんまと坂井さんのペースにもっていかれたというか。

ガイド:そんなことなかなかできない。辣腕編集者ですよ(笑)

那須さん:でも、今思うと、あの『ずっこけ三銃士』から『ズッコケ三人組』への変更があったからヒットしたのかなって、正直思いますよ。感謝してます。6ヶ月ペースもやってみたら、案外できましたし。その坂井さんは、今のポプラ社の社長(笑)。もう30年近い付き合いになりますね。
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