「ここでもない」「あれでもない」……オトナの迷子が止まらない
職業選択の自由が増えたからこそ、迷ってしまう
こうした「オトナの迷子」が増えたのは、たくさんの選択肢が開放されているためでもあります。数十年も前であれば、長男は親の稼業を継ぐのが当たり前でした。家と土地を守るために地元で働き、根を下ろすのが一般的だったのです。女性の場合、1986年の男女雇用機会均等法施行前までは、職種も限定されていました。さらに、「25歳はクリスマスケーキ」と言われ、女性は働き始めて5年もたつと「そろそろ寿退社へ」と促され、働き続けることも難しかったのです。
つまり、一昔前なら「職業選択の自由」は限定され、迷う余地すらなかったのです。しかし、今は本人の「やりたい気持ち」と向き合い、生まれ育ちや性別の縛りを超えて多くの職業を選べる時代。ところが、自由を享受できた途端、「これでもない」「あれがよかったんじゃないか」と迷い始める人が増え始めているのです。
青い鳥を探し続け、幸せを実感できないのはなぜ?
探し続けた幸せの青い鳥は、意外に身近なところにいることも
しかし、「幸せの青い鳥」は、ひょっとしたらすでにもう手にしているのかもしれません。童話『青い鳥』の結末でも、命がけで探した青い鳥は結局、家の鳥かごの中にいたというオチで終わっています。理想の学校、理想の会社、理想のパートナー、理想の家……自分はそれを手にしているのに、そのすばらしさに目を向けず、「他の何か」に正解があると思いこんでいる可能性はないでしょうか。
幸せは、つかんだ瞬間からつまらないものに思えてしまうもの。これを「幸せのパラドックス」と言います。希望がかなってつかんだ「幸せ」は、実際に手にしてみると「こんなものだったの?」「たいしたことないじゃない」と欠陥ばかりが目につきます。そして、「じゃ、“本当の”幸せはどこへ?」と探し始め、結局、「幸せ」を喜び、感じることができなくなるのです。