隣人を愛せないのに、人類愛を説く「メサイア・コンプレックス」やたらと「愛」を説くあなた、どこか不自然なところはありませんか?「困っている人を救いたい」「人類の幸せのために尽くしたい」というように、「人の役に立ちたい」と思う気持ちは、とても尊いですよね。でも、その動機の裏に抑圧された欲求や感情があると、ちょっとやっかいなのです。「メサイア・コンプレックス」という言葉をご存知ですか? 「メサイア」とはメシア、つまり救世主のことです。自分で自分を救い、愛することができないのに、世のため人のために尽くすことにこだわることを、「メサイア・コンプレックス」といいます。たとえば、こんな人がメサイア・コンプレックスにありがちなタイプです。●「将来の夢は?」と聞かれたときに、「人類を救済する」「世の中を変える」などと大言壮語する●理想的な理屈ばかり言うが、現実に即して考えるのは苦手●「人類愛」を説くわりに、友人や家族のことはどうでもいい●「親切にしよう」と言うわりに、小さな親切に感謝できない●身近な幸せを見つけられないのに、大きな幸せを与えることにこだわる「人の役に立ちたい」その気持ちの裏に潜むのは?リセットしがたるのも無理に頑張るのも、どちらもどこか不健康「メサイア・コンプレックス」によって人を援助すると、やっかいなことがあります。それは、理想と違う現実に出くわすと、志半ばで投げ出してしまう人が多いことです。たとえば、高邁な理想を掲げてボランティアに志願しても、「仕事がキツい」「メンバーが気に入らない」と文句を言って、すぐに帰ってしまう人が少なくないのです。メサイア・コンプレックスの人の心の底には、現実逃避や現状不満、劣等感があるため、その反動で過度な理想主義に走る傾向があります。しかし、実際には悩める人が渦巻く現場では、理想どころか過酷な現実を突きつけられることばかりでしょう。そのため、つらい現実に落胆し、そこからも逃げ出したくなってしまうのです。また、挫折によって劣等感が募るのが怖いため、逆に頑張りすぎてしまうこともあります。しかし、無理がすぎると心身の負担を増やてしまいます。「人の役に立ちたい」という情熱を持てたことはとても尊いことですし、そんな自分を愛してあげたいものです。ただメサイア・コンプレックスの人は、人類愛を説く前に考えなければならないことがあるのです。それは、どんなことでしょう?次のページで解説します。次のページでは、「人類愛を説く前にまず考えなければならないこと」についてご紹介します。>>次のページへ12次のページへ