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島地保武『ありか』インタビュー!(2ページ目)

元ザ・フォーサイス・カンパニーの島地保武さんが、この春ラップ界の気鋭・環ROYさんとのタッグに挑戦! 愛知県芸術劇場を舞台に、新作『ありか』を発表します。ここでは、リハーサルにあたる島地さんにインタビュー! 作品創作の経緯と今後の展望についてお聞きしました。

小野寺 悦子

執筆者:小野寺 悦子

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島地さんもラップに挑戦するそうですね。

島地>ちろん僕自身ラップの経験はないし、あったとしても夜道を歩いて帰るときや自転車をこいでるときに即興で口ずさむくらい。環くんから特にこういう風にした方がいいよと言われることはなくて、掛け合いをしていく感じです。ラップはビートに合わせて韻を踏んだり、言葉を派生させながら物語をつくったりといったルールがある。けれど僕は全くルール無視で、言葉と言葉が繋がりなく飛んでしまうというか、飛ぶものを選択してるというか、それしかできないというか。

ふたりで掛け合って創作していく作業はラップのフリースタイルでもするし、どうにかそれを身体でできないか試すこともある。これまでも言葉を舞台で使うことはあったし、自分で音を出してダンサーが踊るような作業はフォーサイスの作品でもありました。けれど、ダンサー以外のひとと日本語を使って一緒にやるのは初めて。ダンサーの場合は相手が何かしたら受け取って、じゃあ次はこうと動きの掛け合いをする。動きの場合は頭で考えてからでは遅いですね。頭が後からついてくる状態が望ましい。物があった場所やどこを触られたといったことを瞬間的に覚えておいて、動きのアイデアにする。環くんとそれを言葉と身体でできたらという想いがあります。

加えてラップの場合は時事ネタと歴史が入ってくる。環くんが特にそういう部分に問題意識を持っているからかもしれないし、僕はそこに惹かれています。すごくいろいろな角度で世の中を見ているんだなって感じます。例えばタバスコがあるとする。まず誰が日本に持ってきたかといった歴史や時代背景など知識の豊富さがあって、そこからタバスコ=辛い、赤い、血のようだと違う方向にいき、アメリカの商品として海を渡ってきたということに焦点を当て、アメリカ大陸を発見した航海者のコロンブスや音が似ているバスコ・ダ・ガマも踏まえつつ、またタバスコ本来の場所に戻ってくる。彼が“物語は入口出口が同じというのが法則だ”と言ってたけれど、確かにそうだなと……。それを即興でやってしまうのが環くんのスキルです。

pH

 

作中使用する曲は環さんの即興? それとも創作する予定ですか?

島地>最初は振りと歌詞をその場で考えて同時進行でつくるという作業に挑戦していましたが、ちょっと難しい部分があって、やっぱり曲をつくろうということになりました。インプロで踊ったものをもう一度再現しようとすると面白くないのと同じで、ラップもばーっと即興で言ったことを書き出してちゃんと音楽に嵌めていくと“まぁこの程度の面白さだね”ってことになってしまう。だとしたら、しっかり根底の部分からつくるしかない。

例えばインプロの動きをビデオに撮って整理するというやり方ではなく、もっと動きに至るまでのコンセプトみたいなもの、コレは何故こうなるんだという部分を探りたい。リハーサル期間が長いのもそうで、ダンサー同士だったら一週間でもそれなりに楽しめるものはできてしまうと思う。たぶんインプロを重ねていったらなんとかなっちゃうけれど、でもやりたいことはそこではないですよね。根底に至るまでのものをつくりたいし、共有して動きにしていく作業をしたい。ある意味すごくコンセプチャルでヨーロッパ的かもしれない。僕はそういう作業はあまり得意な方ではないけれど、今回は必要なことだと感じています。

pH

 

環さんも舞台上に上がるのでしょうか。

島地>その予定です。ただ舞台設定として二人一緒に踊れるようなスペースはつくっていません。普通に客席があってアクティングエリアがあるというつくりにはあえてしていないので、もしかしたらすごく見にくい構造になっているかもしれない。3面くらいからお客さんに観られる感じで、僕らも隙を見せられない。構造としては、こちらのエリアと向こうのエリアがあって、それを行き来する橋がある。まさに今の僕たちの状況を舞台空間にしています。橋は気持ちをつなぐものだったり、シルクロードだったり、そういうものの見立てになるような、見えるような存在です。

pH

 

タイトル『ありか』の意味するものとは?

島地>ものの在処を環くんと一緒に探しているというのがまずひとつ。僕自身西洋のコンテンポラリーダンスをやっているけど、やっぱり日本人的なものが自然と出てきてしまうんですよね。日本人らしい表現をやろうということでなく、西洋のダンスをしていても、どこか静寂さが滲み出てしまったり……。そこに日本人の原点があるんだろうなとも思うし、一方でその原点って何なんだという想いもある。ヒップホップやストリートダンスという海外からやって来たものへの憧れから入ったけれど、今は民俗芸能とか日本的なものに興味を持ってしまう。西洋のダンスに長く触れてきたから、今は日本的なものに憧れがあるのかもしれない。

海外で上手いひととかすごく身体がきくひともさんざん観たし、ノンダンスなどコンセプチュアルな作品も観てきたけれど、何故か感動しないんですよね。すごく考えられてるなとは思うけど、あまりにコンテンポラリーダンスが分解されすぎてしまってる。音楽と身体と祈りと感情というそもそも一緒にあったものがどんどん分解され、細分化されすぎて冷たくなっちゃったなって思う。面白いことは面白いんですよ。でもそこを超える人間のダメ感とか、アナログ感がない。コンセプトに身体が負けてしまい、ダンスに行き着かないというか……。

あと僕の中では、永遠のありか、魂のありかってあるんだろうか、という気持ちもあります。永遠って誰も知らないじゃないですか。だけどどうして永遠だと思う感覚ができたのか、永遠という言葉ができたり、永遠を望んだりするのか。それは人間だけが持ってる感覚だけど、詰め込まれてできた感覚なのか、やっぱりどこかで知ってるのか、という問いもある。最近ザ・ブルーハーツの“永遠なのか、本当か。時の流れは続くのか……”という歌詞がすごく頭に響いて。子どものころは何となく歌ってたけど、実はすごい歌詞だなと思う。

環くんと良い歌詞をつくりたいという話をしています。沢山の言葉を詰め込んでる訳ではないけれど腑に落ちる、それこそ日本的な間があるような。書いて、書いて、消して、選んで、また違う、という作業をずっと繰り返しています。

pH

(C)後藤武浩



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