ビルの1階は持ち帰り、地下に食事処の神田志乃多寿司本店
老舗そば店「かんだやぶそば」の火事のニュースが関係者やグルメファンにショックを与えた、神田淡路町エリア。靖国通りと外堀通りが交差する淡路町交差点からすぐそばに、「神田志乃多寿司」があります。読み方は“かんだしのだずし”、しのだとは“いなり”のことです。2010年に改修されたきれいなビル、その1階に暖簾(のれん)が掲げられています。老舗らしい雰囲気ではなく、クールな印象でしょうか。入りにくさなどはないですね。最寄駅は、丸ノ内線の淡路町、都営新宿線の小川町。千代田線の新御茶ノ水も近い立地。ちなみに、こちらで取り上げた「かんだやぶそば」や「割烹 萬代」へは同店から1分程度の距離です。
創業は1902年(明治35年)
神田志乃多寿司の創業は、1902年(明治35年)です。当時から現エリアで、“志の多寿司”(通称いなり寿司)と“のり巻”の製造、販売。甘味まろやかにしてコクのあるいなりと、じっくり煮込まれた干ぴょうを使用したのり巻が評判を呼んだことが、伝えられています。そんな神田志乃多寿司がスタートした1902年とは、どんな年だったのでしょうか……。日清・日露戦争の間で20世紀を迎え間もないこの年、大きな出来事では、日英同盟条約調印があります。日本と欧米列強との初となる対等な条約締結です。アメリカでは初の映画館がロサンゼルスに誕生。日本の山岳史上最悪の八甲田雪中行軍遭難事件もこの年のこと。クルマ社会ではなく、まだ九段坂に荷車を押す人たちがいた……そんな時代に神田志乃多寿司も産声を上げています。
では、いなりとのり巻の“その味”を守り続けるすし店へと参りましょう