100年店ランチ/東京の100年店ランチ

船橋屋(天ぷら/新宿/創業明治初期)

焼き芋に始まり、そば、そして天ぷらへ……今回は文明開化の様子を新宿ド真ん中で見つめてきた歴史を有する天ぷら店、「船橋屋」をご案内します。

菅野 夕霧

執筆者:菅野 夕霧

100年店ランチガイド

新宿駅から2、3分の好立地、老舗天ぷら店の船橋屋

角地で斜めに入り口を配した同店店頭

角地で斜めに入口を配した同店店頭

新宿東口、伊勢丹に近いエリア。ビックカメラとユニクロのコラボが話題となったビックロ裏に、老舗天ぷら店「船橋屋」本店があります。斜め向かいにはこれまた老舗天ぷら店「つな八」の本店も。新宿老舗天ぷらの“二大巨塔”が相対し、切磋琢磨してきた場所、と言えるのかも知れませんね。

“右”から書かれ、歴史を感じさせる店名看板は迫力十分。交差する道の角面に配した入口は、老舗感がありますが、そこまで入りにくいタイプではないですね。入るまで値段がわからない圧力を感じるお店もありますが、船橋屋ではお昼時に、ランチメニューの看板も店頭に出されますので、値段を確認した上で入店することができます。

創業は明治初期

店名の船橋屋。実は創業者・高橋兼次郎氏の出身地が、現在の千歳船橋だったことが由来です。当時、焼き芋やわらじを売る店としてこの新宿の地で営業をスタート。その後、そば店を経て、天ぷら店へと変化し、いまに至っています。では、船橋屋創業の明治初期とはどんな時代背景だったのでしょうか……。

ランチサービスメニューの置き看板

ランチサービスメニューの置き看板

明治と言えば、武士の時代から近代国家へと歩みを進めた、大きな変革期。西洋化を徐々に取り込んでいきます。洋服や背広、靴や傘など、今では当たり前の“装い”が、一から変貌していくのが明治初期のことです。チョンマゲ頭からザンギリ頭というのも、見た目にも大きな変化ですね。明治時代になって一気に髪型や洋装が広まったわけではなく、官僚や華族といった一部の人たちから長い時間をかけ徐々に庶民に浸透、変化していったことが伝えられています。

チョンマゲ頭やザンギリ頭、和服姿や洋服姿、そんな人たちが入り乱れていたであろう明治初期、船橋屋もその歩みを始めています。

では、新宿を代表する老舗天ぷら店の本店へと参りましょう
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