中国茶/おすすめの黒茶、紅茶

失われた紅茶のルーツ、ミッシングリンク 正山小種(ラプサンスーチョン)(2ページ目)

紅茶のルーツはどんなお茶だったのでしょう。中国茶の歴史をちょっと紐解いてみましょう。

執筆者:平田 公一

正山小種が紅茶とのミッシングリンクなのか?

武夷岩茶と見間違える
ような正山小種もある
この「正山小種」はラプサン・スーチョン(Lapsang souchong )とよばれ、その芳香はヨーロッパ人を魅了したといわれています。周辺で作られる奇種と呼ばれる品種を製茶して作るお茶ですが、その作りは武夷岩茶よりも発酵度を高くしています。ですから、中国茶の分類では、「青茶」ではなく「紅茶」に分類されています。しかも、最終的な製茶工程で茶葉を燻す過程が加わっています。

このお茶を飲んだことがある方ならお分かりだと思いますが、ラプサン・スーチョンの香りは「正露丸」に喩えられます。それほど焙煎の香りが強いわけで、中国では、別名「烟小種」とも呼ばれています。しかし、ミルクティーにすると飲みやすく今でも広く紅茶愛飲家の間ではもてはやされているお茶なのです。

大きな葉が復元する
このお茶は18世紀中葉から作られるようになったといわれていますが、当初は、今のようなお茶ではなく、龍眼香といわれるように、烏龍茶に近いつくりだったといわれます。実際に「武夷茶は山にあるのが岩茶、水辺にあるのが州茶、一番良いのは工夫茶、そして工夫茶よりもいいのが小種である」と『続茶経』(陸適 著)に記載されているように、烏龍茶と紅茶の区別が明確には記載されていませんでした。

たとえば、中国の紅茶で一番有名なお茶「祁門紅茶」が作られた由来を紐解くと、1874年に余干臣が宦官をやめて商人になり福建省から安徽省にやってきて、福建省の発酵茶「工夫茶」にならって東至県に工場を設立し茶の製造を始め、翌年に祁門県(祁の偏は[示]です)に二ヶ所の製茶工場を設立して「祁門紅茶」を造りこれを拡大していったのが始まりといわれています(別の一説によると、1876年に祁門の南の貴渓の胡元竜が日順茶工場を開設して、小種烏龍茶を改良して「祁門紅茶」を完成させた、といいます。)。

このように、世界に名を馳せる紅茶の原型が、武夷の小種であったという記録が残っているのです。

現在の正山小種は「紅茶」です。しかし、非常に烏龍茶に近い正山小種も残っています。烏龍茶と紅茶を結ぶミッシングリンクがこんなところにあると考えるのも、とても面白いことですね。

 次のページでは、おすすめの正山小種が購入できるお店をご紹介します。


(注2)この記事は、堀田さんから様々なご指摘を頂き、堀田さんが過去書かれた文などを参考にさせていただいております。さらに面白いお話もお聞きしているので、またご紹介できるといいなあと思っています。
(注3)中国紅茶で最も古いものは江西省修水県の紅茶、寧紅工夫だといわれます。しかし、このお茶も正山小種の歴史ほど古くはなく、19世紀になって絶頂を向かえ、その後清代のラストエンペラー愛新覚羅溥儀に献上されたといいます。


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