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日本だけじゃない! 世界の相撲事情(2ページ目)

日本の国技・相撲は、昔から日本人の娯楽として楽しまれてきました。最近では外国人力士の数がかなり増えていますが、海外の相撲の事情はどうなっているのでしょうか?

執筆者:鳥羽 賢

増える外国人力士

現在の日本の相撲界は、外国人力士の数が非常に多くなっています。2009年初場所の番付を見ると、幕内の42人中14人が外国人と、全体の3分の1を占めるまでにいたっています。横綱は朝青龍と白鵬の2人がいますが、2人ともモンゴル出身の外国人力士です。

このような状況になっている原因はいくつかありますが、1つには日本人の若者が力士を目指さなくなっている現実があります。今では「相撲部」がある中学・高校も減ってきていますし、スポーツのプロを目指すにしても野球やサッカーで目指す若者がほとんどです。

外国人はどうやって力士になるのか?

力士になるためには、日本人でもあっても外国人であっても、新弟子検査に合格して相撲部屋に入所する必要があります。相撲部屋では共同生活をしながら稽古を続け、番付の一番下である序の口から始めて勝っていけば、最終的には幕内となり「力士」になります。そしてその中でも才能に恵まれた一部の力士は、横綱になっていきます。

外国人の場合は日本に住んでいないと新弟子検査を直接は受けられないため、本国にいる間にスカウトされるか、日本にいる間に新弟子検査を受けて相撲部屋に入るかのどちらかである場合がほとんどです。

朝青龍と白鵬の出世経緯

モンゴルの地図
現在の2横綱・朝青龍と白鵬はどちらもモンゴルの出身だ。
現在の2横綱、朝青龍と白鵬がどのようにして力士になったか見てみましょう。朝青龍は、少年時代からモンゴルでモンゴル相撲(ブフ)をすでにやっており、少年の部で優勝するなどかなりの強さを発揮していました。

16歳になった1997年に、日本の明徳義塾高校に相撲留学で入学しています。そこでも頭角を現したため、1999年に高砂親方(当時は若松親方)にスカウトされて、相撲部屋入所となりました。それからの活躍・出世ぶり、その他のいろいろなエピソードは皆様もすでにご存知の通りです。

一方の白鵬は、また違った経緯で相撲界に入りました。白鵬もモンゴル出身ですが、モンゴルでは相撲とはあまり関わっていません。しかし15歳になった2000年に旭鷲山のつてで来日し、実業団相撲で名を知られている大阪の企業・摂津倉庫に入って相撲を始めました。

それからしばらく、白鵬は自分を受け入れてくれる相撲部屋を探しますが、当時は体格が小さかったこともあってなかなか見つかりません。そこでようやく拾ってくれたのが、宮城野部屋でした。

白鵬は宮城野部屋に入ってから、2001年3月に序の口として初土俵に出ます。それからは体格も成長し、相撲でも連戦連勝。初土俵からわずか3年の2004年に入幕を果たし、その3年後の2007年には横綱に昇進しています。

日本人の強い力士が減っているとはいえ、相撲が日本の国技であることには変わりません。日本相撲協会は、海外公演や海外巡業などを通して相撲を世界に広めようとしています。今年の10月に予定されていたロンドン公演は世界不況のため中止になりましたが、また景気が回復してきたらこのような公演・巡業をどんどん行って相撲の良さを世界に伝えて欲しいものです。


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