マスコミの報道・記事をスルーする
ホリエモンはネット時代の寵児ともてはやされましたが、粉飾決算が露呈すると、虚業だなどと徹底的に批判されました。村上ファンドも「モノ言う株主の出現」と話題を集めましたが、やはりインサイダー発覚後は批判にさらされました。亀田一家も派手なパフォーマンスで人気を集めましたが、次男の世界戦を境に、「けしからん」などという意見が飛び交い、最近では「少し言い過ぎたのでは」という論調になり、そしてその話題は既に消えつつあります。「がけっぷち犬」がテレビのニュースで報道されると、全国から引き取り希望者が殺到する一方で、毎日何十万匹もの犬猫が処分されています。
マスコミ報道はかくも感情的で移り気です。もちろん違反や犯罪は罪を問われるべきですが、ちょっとしたことで冷静さを欠き、ヒステリックに大騒ぎする傾向が強くなっています。その最たる例が1994年に起こったルワンダ大虐殺です。
この時、100日間で100万人が虐殺されたとも言われています。フツ族の一般市民が、ツチ族の女子供を問わず山刀で襲い、7割の女性がレイプされ、いまも多くの人がエイズで苦しんでいるそうです。そして、彼女たちは襲った人の子を身ごもり自分の手元で育てているそうなのです。(アマゾンで「ルワンダ」と検索すると、たくさんの書籍やDVDが出てきます)
軍隊だけではなく一般人までが虐殺に荷担することになった悲劇の原因は、フツ族のラジオ放送でツチ族への敵愾心を煽ったことだと言われています。マスコミに煽られて冷静さを欠き流されてしまう今の日本の状況は、ルワンダに近いのではないかという印象を持ってしまいます。
マスコミ報道は、それを鵜呑みにしたり振り回されたりするのではなく、自分が考える材料だと冷静にとらえ、適度にスルーすることも必要です。例えば、「これからは○○型経営の時代」などと言われますが、経営の根幹がそうころころ変わるはずはないですし、投資で言えば、大きなトレンドを捉えていれば、今のようなマーケットの短期的な激動にも右往左往することもありませんから。
スルー力とは柔軟性
さて、いくつかの例でスルー力を見てきましたが、スルー力とは手抜きでも無関心でもありません。一言で言えば柔軟性です。情報過多で時間に追われる現代社会を、柳の枝のようにしなやかに駆け抜ける、効率化やストレスフリーになるためのスキルなのだと捉えてください。そして、スルーできる範囲や場面は人によって違いますから、ここで挙げた例だけでなく、「自分なりのスルー方法」を模索してみてはいかがでしょうか。