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現役デザイナーは語るNYのデザインは意外にコンサバ ジュエリーデザイナー(2ページ目)

5番街のティファニーを代表とするニューヨークの煌びやかなジュエリー。そのジュエリー業界で活躍している日本人デザイナーに直撃インタビュー

執筆者:溝口 弘恵

技術者がどこまで本当にできるのかを把握した上で交渉

「アメリカでも日本でもそうだけど、技術者っていうのは、ここまでの技術が可能だとしても面倒くさいからって断ることが多分にある。この技術者が、どこまで本当にできるのか、面倒くさいから断ろうとしてるのかを見極める力がついてて、面倒くさいことを誤魔化さずにやってもらうことができるの。」

やっぱり経験って大切なんだなぁ~。インタビューするまで、私の中で、ジュエリーってのは一人の人が作るものだとイメージしてたけど、技術者とデザイナー、そして販売してくれるショップなどと、すごく人間同士のつながりが必要。

勤めはじめてから一年半後、彼女の運命を変える先生に出会ったのだった。


オブジェだってジュエリーになりうる!

「アトリエ・ドーム(ジュエリー・スタジオ)で、坪先生に出会ったのが私の運命を変えた。宝飾会社で学べたのはよかったけど、作りたいジュエリーに対する意識が変わっていたのかもしれない。それで悶々としてたの。

そもそも私の創ってるものといえばオブジェなどといったアーティスティックなもの。その自分の作ったオブジェの写真を坪先生に見せた。『オブジェが身につけるものであっても構わないのでは?』ってアドバイスされたの。

木やアルミやプラスティックだったりするオブジェ。ときには、1メートルくらいある、わりと大きいものだったり。それがジュエリーであってもいいじゃないかって納得。モノによっては、首から足先まで長さのあるジュエリーもあるのよぉ~(笑)」

坪先生のアドバイスのおかげか、オブジェをジュエリーにしてしまったユカちゃんは、この頃からコンテストにも挑戦、新たなジュエリーの世界に飛込んだのだった。

ジュエリーデザイン・ライン(ユカちゃんが作ったオリジナル・ジュエリーの販売店)も始める。同時にデンマークのインポート・ジュエリーを扱っている会社に入って、検品や販売員をしながら、流通やディスプレーや内情をみれる部署で勉強したという。
Sounds of natureのネックレス Museum of Craft and Folk Art in SanFranciscoでの"Valuables"Exhibitionに出展中

ジュエリーデザイン・ラインは現在のアメリカの仕事だけでは食べていけないので、今でも役に立っているとか。では、アメリカに来たきっかけは?
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